日記でございみし

 

 前回の日記は1月12日に書かれたもので1月3日から12日までを書こうと思っていたのですが、8日の朝のことまでを書いて力が尽きました。今回は8日の朝以降の出来事から今日の日付(1月29日)あたりまでをボブスレーのように一気に。

 

 特に書くことないな、あんまり覚えてない、っていう日はその日のツイートを載せてます。

 

1月8日 (月)

 成人の日。前日の7日、家を出たらアパートの玄関に振袖の子がいた。この日は早い時間に上映される映画を観たかったので、朝から山の下に降りていく。この町のバスの乗り方にも慣れてきたがうまくいかないこともある。たとえば映画館に行くためには○○経由の金沢駅行きに乗るとよいとすると、その日私が乗りこんだのは◇◇経由の金沢駅行きのバスだった。では○○経由のバスを待てばいいのかというと、祝日ダイヤだし、地方であるから、そのバスを待っていたら映画の時間を平気で過ぎてしまう。

 ◇◇に着いて、○○までどれくらいかかるかgoogleマップで調べてみると、直進で1.1kmくらい離れているらしい。問題ない。田舎育ちの面目躍如であり、私は太いメンタルでずんずんと歩いた。◇◇から○○までは市内でも賑わっているほうのアベニューだが、天気が悪く、先日の地震の余波もあるせいか、市街は人の姿が少なくどこか寂しい感じがした。

 ずんずん歩いたがけっきょく、映画館に着くとチケットの時間を何分か過ぎてしまっていた。この映画館は単館系だが、夏にシネコンへ『君たちはどう生き』(さいごまで書けよ)を観に行ったときも間に合わせることができなかった。『君ど』のときは予告編の時間がたっぷりあったために多少遅れてもぜんぜんオッケーだったが、単館系だしどうかな、冒頭の数分間はあきらめるか、仕方ない人生すべて勉強、とか思いながらエスカレーターを昇っていた。もう館内は暗いだろうし、見つけやすいところを...、と思ってスクリーンから見て「柱」の近くにある右端の席を買って入場。まだ予告編の途中で快哉。でも「柱」が通路をはばんでいるせいで自分の席に辿り着けない。ぐるっと回って端の席に行かなくてはいけないのか? バスの経由先といい「柱」といい、オレは映画が観たいだけなのに障害が多すぎる、と泣きたくなったが(太いメンタルはどっかいった)、「柱」と壁の間に通路があったわけで、(あ、なるほど...)と私は自分の購入できた席に座ることができた。んー。すごいばかみたいですねこの数行は。

 鈴木清順の『陽炎座』。久しぶりに「映画」を観ることができたなあと感じ入った。途中から舞台が金沢になってうれしかった。『陽炎座』の原作を書いた泉鏡花は金沢の文豪のひとりだ。作中に出てくる金沢のひとが「~ございみし」と言っているのがとても耳に残った。金沢弁では「~ます」を「~みし」と言うらしいが、わりと昔の言葉遣いのようである。「......つまりだから、サザエさんが金沢のひとだったら『サザエでございみし!』って言うわけよ!」と、その夜の電話で私はりさこさんに喜々として喋ったのでございみし。また、劇中深沢七郎の「みちのくの人形たち」を連想する場面があって、これも非常に面白かった。

 映画を観たあと、近くのデパートの地下に入っている本屋へ行く。泉鏡花の本がそろっていたが、『陽炎座』の原作になった作品が収録されたものはなかった。『世界』の二月号を購入。「文豪カフェ」という場所が併置されており、そこで文豪みたいな顔でドライカレーを食べた。お客さんはみんな本を持ち込んでゆったりと読書の時間を過ごしていた。また違うデパートの本屋に行って「文化戦争」を特集している『スペクテイター』を購入。この雑誌のことをいままで知らなかったのだが今後チェックしておきたい。その後、金沢の古書店オヨヨ書林を探訪。古書店の棚を眺めているときが人生でいちばん落ち着く。三冊ほど目星をつけた本があったが、古井由吉の『雪の下の蟹』を購入。表題作が金沢の雪かき小説であると研究者の東條慎生さんに数日前教わっていたので、ピタリと見つけられてよかった。その後駅前まで歩いていき、無印良品であれこれ買ったりして山の上にもどった。

 この三連休の夜はハンターハンターのグリードアイランド編をぶっ通しで観ていた。ドッジボールとボマー戦やっぱり熱すぎる。

 

1月9日 (火)

 ハンターハンターを観終わったので次は何を観ようかな~、と夜に考える。そういえばアニメのほうはぜんぜん観たことない、と思って『進撃の巨人』を観始める。ミカサが「理由がないのに泣いてるのは変だよ」と言っていて、ほんとそうだよな~いいこと言うじゃん、と「焼酎ハイボールドライ」を飲みながら思った。

 

1月10日 (水)

 仕事が本格的に始まってくる。自分のことがまったくできない。

「あぁ〜っ、、傘をバスに忘れてきてしまった。 あしたベランダから生えてこないかな」 午後6時28分

 

1月11日 (木)

 いそがしすぎてちゃんとしたメシが食えん。この日は「からあげパン」を食べた。一区切りついたところで250円のジュースを飲んだけどたいして美味しくなくてもう自分が少年ではないことを知る。

 夜は飲みに行った。厚揚げ豆腐うまい。

 どんな卵が好きか、という話をする。相手は「真ん中が7割くらい半熟のもの、8分茹でくらいの」と言っていた。私は「自分もそういうのは大好きだけど、なんか儚くて嗜好性が高い。おでんとかの味の染みた、しっかり固まった卵も愛だなと思う」と返して、(われながらいいこと言うなあ)と思った。目玉焼きも固くてまったくかまわないのだ。とろとろ半熟至上主義のオルタナティブを提言できたようで勇壮な気分になった。おおげさだな。

 

1月12日 (金)

 仕事は休み。1月前半の日記を書いたが、疲れて数日分で終わってしまう。ん~、年末年始は楽しかったなあ。

 

カレーうどんで最強になった カレーうどん君に改名します」

午前11時29分

 

1月13日 (土)

 自分は他人の感情の変化に敏感なんだなあと思う。それは自分が他人の感情を変化させることに対して鈍感だったからこそ培ってしまったものだ。

 雪あらしが吹き荒れるなか、下山して大きなホームセンターに行く。なんでこんなことしなきゃいけないんだろうという思いがめちゃくちゃ強い。ここでなんのためになにを買ったかは内緒だ。夜、焼きそばを作って食べた。二玉を一気にたいらげてしまって若い気分だ。

 

1月14日 (日)

 京都で文フリが開催されたり、東京では小説関係のお食事会があったようです。私は夜になったらいつもの居酒屋へ。

 

「文フリ京都に遅ればせながら到着 とりあえず見本誌コーナーの隣にあるビールスタンドでかけつけ一杯 これがうまいんだよな ありがとう最終入場22:30 

(生ビールの写真を添付)」

午後6時57分

 

このトボけたツイートに対して、@lemonade_airさんが

「今新千歳でギリ合流します!」と

さらにすっとぼけた返信をしてくれてかなり笑った。

 

1月15日 (月)

 ずいぶんと忙しい。バンド「忘れらんねえよ」の「これだから最近の若者は最高なんだ」という曲がリポビタンDのように効く。「アイドル猫がオレより稼いでる めちゃくちゃでウケるぜ」という歌詞に笑った。感謝をいだいた歌詞もある。サンキュー柴田さん。

 

1月16日 (火)

 昨日とだいたい同じ。夕方、スーパーで会計したあとに石川が揺れる。疲れていたので自分のふらつきかと思った。

「前髪が煙草吸ってるやつの部屋のソファーの匂いする」

午後9時11分

 

1月17日 (水)

 朝、腹に違和感。昼からものすごく痛くて身動きできないほどだった。トイレに行っても晴れることがないのでこれはまずいぞ、と思いながらふらふらと仕事をする。15時あたりから少し楽になってきたが完全には晴れない。

 

1月18日 (木)

 朝、病院へ。お医者さんがなんとなく蓮實重彦に似ていた。盲腸が炎症ぎみらしい。三日間薬を飲むことになる。私は実年齢よりも下に見られることが多いが引っ越してきてからはとくにそうで、病院でも薬局でもえらく子ども扱いされているような気がしてうろたえた。薬局でマイナンバーカードを保健証にひもづけうんぬん、みたいなことを促されて、した。なすがままでよくわからない。職場。仕事につかれたので甘いもの飲みたいと思い「コメダ珈琲店飲むコーヒーソフトクリーム」というストロングなものを買ってみた。おいしかった。お目付け役に報告したら「腹によくなさそうだ」と注意される。

 

 夜、古井由吉「雪の下の蟹」を読む。

 金沢の雪下ろし小説。古井由吉は小説好きの嗜みのようなイメージがあって私も何冊か揃えて読んだ。福武文庫から出ている随筆や『半自叙伝』は好く読めたが小説は「これは」というものを得られずにいた。

 たとえば「杳子」は、言葉にし難い何かがしつこすぎて「すごいな」と思うばかりで『仮往生〜』は単に「すごいな」で四分の一くらいで読書をやめていたと思う。この短編は「やっと『入門編』を見つけた」という感がした。語られている土地や主題に親しみがあったからだろう。

 「正月を東京で過して、一月もなかばに金沢にもどって来ると、もう雪の世界だった。駅を出るとちょうど雪が降りやんだところで、空は灰色に静まり、家々の屋根の柔らかな白が、夕暮れの中に融けこもうとしていた。」

という書き出しが衒いのないとてもいいリズムの文章で自然に入り込めたのだった。すごくいいな、自分もまた小説を書きたいと思わせてくれるような文章ばかりでこの一編は構成されており、誰にでも勧めたくなる短編だった。

 「雪」というと静かさや香りのなさや停滞を思い浮かべるが、私が好きだったのは雪おろしを中心に描きつつ、風呂屋の臭い湯船やドブに流された汚物や雪の中で発生すると大事になる火災の、人々や語り手の心配のなかにある炎など、強い匂いを喚起するものが多く出てくるところで、音の面で言えばやはり男たちの雪おろしを指揮する女の子の声は耳に残る。(ちなみに今年の金沢は暖冬で雪が少ないという話ばかり職場で耳にする。)

 読中、異物のように紙面から目に残るのは、語り手の同僚が酔っ払って語り手を道で見かけるというくだりで、私も語り手とともによくわからなくなって、そこが屋根の上の重い雪のように小説の重くごつごつしたもののように感じられて楽しかった。この短編を紹介してくれた東條さんのブログによればこういった分身のモチーフは古井作品において反復されているようだ。教えてくれてありがとうございます。

 私が好きだった一節のひとつ:「雪の重みの下でひっそりと憎しみの感情に耽けるのは、奇妙に快いものだった。」

 

 

 以上の感想は連投したツイートを多少書き直して貼り付けたものだが、自分はちゃんと小説を読んでまとまった感想を書けるんだなあとちょっと安心する。意外に思われるかもしれませんが、おそらく私は他の人と同じように気軽に小説というものをさっぱり読めないのですよ。

 

1月19日 (金)

 酒を飲まない金曜とか何年ぶりだかわからない。

「ノンアルビールがまずくて家の柱かじってる」 

 午後7時11分

 

1月20日 (土)

 名古屋に出張。朝、ちょっとしたトラブルがあったのだが、イチから説明すると疲れてしまうので、あとから加筆したいと思う。あー疲れた。でもいい一日だった。

 

1月21日 (日)

 昼は近所の町中華でチャーハン。ここのチャーハンはうまい。遠出した次の日はこういうものを食べなきゃね。ちなみに昨日は名古屋らしいものをほとんどエンジョイすることはできなかった。夕方近く、りさこさんが金沢に遊びに来てくれたので迎えに行く。バスのICカードを作らせた。腹はすっかり治ったし、薬もぜんぶ飲み終わったので、体にながしこむ酒のなんとうまいことよ。

 

1月22日 (月)

 夜、いつもの居酒屋に行く。能登牛と能登豚の串焼きメニューが追加されていたのでさっそく注文する。

 

1月23日 (火)

 この週の火曜、水曜、木曜はだいたい同じような日々で、火曜の夜から大雪が降って、県には警報も出た。火曜の昼間から今度は風邪をひいてしまい、頭やら顔面が重たくてたいへんだった。腹痛よりも風邪のほうがやはり、全体的な元気は損なわれるなあと思う。ココアを買って夜に飲んだけどお湯に溶かしてもやっぱりたいしておいしくねえ。肉豆腐やらそぼろ大根やらあたたかくておいしいものを自炊して静養する。だけどこういうときにむしろ勉強がはかどったりしてそれはすごくいい。

 

1月26日 (金)

 『八月の光』読書会。ジョアナ・バーデンの館の大火事や、リーナをめぐるバイロン・バンチとハイタワーの長い対話など。読書会のなかで言えなかったことを思い出してみるなら、「白人の女が死んだということは、黒人がかかわっているはずだ=かかわっていてほしい」という南部人の自意識をフォークナーが書いていることの指摘が面白かった。とあるくだりにおいてフォークナーはby a negroとby Negroという面白い書き分け方をしているが、ここについてもう少し検討してみたい。それにしてもハイタワーと会話しているバイロン・バンチは場末の居酒屋でうじうじと恋バナを聞いてもらっている後輩くんのようでいじましい。ハイタワーのほうについても、バイロンが家を去ったあとに(やれやれあの若造は)というふうに肩をさげるようなくだりが書き込まれており、このコンビはなかなか好きである。読書会後、(それ小説のネタにいただけないかな)と思ってしまうような話をうかがう。私はひたすら職場の話。

 

 

 

 

「同僚が昨日言っていた「文章を書いていると元気が出てくる」とは、名言である。まあそれもそうだし最近はちょっと集中して本が読めるだけでスゲーッ 生きてる、これがオレの本当の姿だ... ってなるわ。」

 

 

「本当の姿とか言っちゃダメ」 1月17日午後8時37分