凍ったものをどうするか

 春、山の上に引っ越してきて新しい同僚のかたがたと音楽の話をしているときによく羊文学の名前が挙がった。春はまったく羊文学を聴いていなくて、そのとき仲間内で人気が高かったのは「光るとき」という曲だったが、頭に曲名を登録するだけでまったく関心がなかった。よく名前は耳にするけどぜんぜん自分は通っていないなと思うグループのひとつだった。こういうことを自分で書くことは恥ずかしさと傲慢さがあるが「若い人たちの所有物」のようにも捉えていた。

 「光るとき」はさいきんよく聴くようになって、もちろんいい歌だと思う。このひとたちはコロナの制限下の時期に流行り始めたような印象があって、この歌もそのころ、みなリモートワークになったりいろんなイベントが中止になったり、そして学校では遠隔の授業が行われていたころ、そんな時期に発表された楽曲かなと感じた。次のような歌詞があって、そこに私が勝手に「励まし」を読み込んでしまったからだ。「永遠に見えるものに苦しんでばかりだね」「何回だって言うよ、世界は美しいよ / 君がそれをあきらめないからだよ」「永遠なんてないとしたら / この最悪な時代もきっとつづかないでしょう」 私はさすがに心も大人になってきてたとえば、文字だけで歌詞の味を感じることやジャッジすることができない。塩塚モエカの歌詞は前回の日記にも(別の歌に対して)使った表現のように鳥ガラスープに使ったあとの鳥ガラのようであると思う。目で読んで「うん、そうか」と思うだけでも、それが楽曲のなかで歌われることで強い説得力を持って聞こえてくるのだ。さいきんはそのような音楽の聴き方をしていると思う。「光るとき」はアニメの主題歌になったため、歌詞の内容はそのアニメの内容を多少ふまえているのかもしれない、私はそのアニメにはいまのところ関心を向ける余裕がないため検討はできない、しかし発表された日付は2022年の1月12日だった。私の予想とはちょっとズレていた時期だ。2020年、もし私が遠隔授業を余儀なくされて友達と会えなくなった18,19の学生であって、そのときにこの歌がふとどこかから流れてきたら、とてもうれしくて、ありがとう、ありがとう、と思っていただろう。「光るとき」を私はリアルタイムで聴いていない。このころの私はやせがまんでSpotifyに登録しておらず、ストレスを解消するかのように毎日近所のディスクユニオンに行って洋楽のCDを買っていた。

 さて、2021年の4月からの日本といえば制限がだんだんと解かれていって、それでも非常事態宣言の予感が近寄ったり、みなどんなふうに他人と接したり自分の行動を許したりすればいいか、もしくはその逆を手探りで考えていたころだった。年度で言えば22年の1月はそのような一年がまだ終わっていない、そのころ私は羊文学の歌を二曲、SpotifyのLike欄に入れていて、でも23年の4月や5月の私はそのことをすっかり忘れていた。「ラッキー」という歌と「夜を越えて」という歌だった、どちらもランダム再生でよく耳にするうちに気に入った歌で、前者のほうを当時はよく聞いていたけど衝撃を受けたのは後者だった。さいきんはこんなすごい歌を作る人たちがいるんだなとじつに中年くさい感慨を抱いた。それこそ、あまり聴きすぎると日常に思い悩む18,19の情緒状態になってしまうな、と思って「夜を越えて」は敬して遠ざけていたが今朝は、何の感傷も苦しみも哀しみもないごくふつうの夜を越えたあとだし、いつもと同じ朝だが、少しじっくり聴いた。「君の言うことが時々 / わからないような気がした / それでちょっと泣いたり / 変な歌うたったりしたな」という歌詞がほんとうにすごいな、と思って、しんみりした。

 退屈が苦痛で、お金がないのに、SpotifyNetflixに登録して、お金がないのに頻繁に映画を観に行ったりしていた、ひとりで、羊文学の「夜を越えて」に緑色のハートを付けたその時期は、2021年の4月から22年の3月までの時期は、いま思い出すととても辛い時期で、だけどその原因になった人間だってとても辛かったのかもしれない(辛かったはずだ)し、自分の辛さをどのように大切に、もしくは意固地に保持し、他人の辛さをどのように尊重し、理解すればいいかよくわからない、そんな一年だった。辛くても私は「ちょっと泣いたり」しなかった、私は泣かないということを数週間前に販売した赤い日記の本で繰り返し書いた、「変な歌うたったり」したかもしれない。君の言うことが時々わからないような気がした、それは言われたことでもある。

 そのころの生活において、スーパーの質の悪い油で作られた惣菜と安いアルコールは体をすさまじく蝕んだが(こんなふうに書くとなんだか壮絶ですが要するに健康診断の数値的なアレです)、辛くても心の底が抜けることはない、ありきたりな言い方をすれば仕事があったからだ。それは残念ながら作家業ではない。そして仕事に関する共同体があったからである。私が作家業以外のことをしていることは、私にとってまったく残念なことではない(それとはべつに作家としての私を励まし応援してくれる声がこの一年で届くようになりほんとうにうれしいことだ)。あのころはヘンリー・デイヴィッド・ソローの『ウォールデン』を読み合っていたが、それが終盤に近付くころ、次は何を輪読するかという話になってフォークナーの『八月の光』が挙がった、いままでも何度か『八月の光』の読書記録をブログや、ブログを本にしたものに収めてきたが今回もその話をしたい。

 

 この前読んだ範囲はぜんたいのちょうど真ん中、もしくは真ん中にさしかかるころであって、ジョー・クリスマスの個人史のパートから束の間抜けて、彼とともに暮らしていた、暮らし始めていた、ジョアナ・バーデンという女性が読中の存在感を占める。以前からとても仲良くしてもらっている、この前の文フリでもたくさんお話をした作家の方がしばらく前に「自分はジョアナ・バーデンかもしれない」という小説的な瞬間(これはもちろん皮肉やましてや誇張表現ではない、敬意だ)を投稿しており、そのことをちょっとだけ思い出して、さまざまな、判断以前の意識をほんの少しだけ頭のなかにまとわせつつ、ただ、その章はジョアナ自体のエピソードというよりはバーデン家の家族史がジョアナからクリスマスに滔々と語られる、そういう場面だったのである。

 ジョアナは20世紀の初頭から先祖のことを語るわけだから、語られるのは19世紀あたりの、南北戦争前後の時代である。そのような時代にあってジョアナの祖父は奴隷制廃止の態度をとる。奴隷も奴隷制も文字通りの意味では接することのない私たちにとってはバーデン家は「正義」の一家に映るかもしれないが、考えてみてほしい、価値観が何もかも違う時空間に対して、私たちの尺度はその人物を「正しい」と判断できるかもしれないが、物語空間においては、その物語のなかの農村社会では奴隷制廃止論者はきわめてアウトサイダーなのである。ジョアナの祖父とジョアナの兄は殺される。私たちは21世紀のアメリカで黒人が白人警官に殺される事実に沈痛な思いを抱くが、19世紀の南部社会では黒人を奴隷の立場から解放しようと欲望する白人のふるまいもまた白人の暴力の対象となる。もちろんそれは暴力を行使した者がその対象に異なる暴力や崩落の予感を感じ取っているからである。さて、祖父と兄の墓地は町民の目から隠された。ジョアナの父は家族の敵討ちをしなかった。それが昔話を聞いていたジョー・クリスマスの疑問点だったが、ここにも容易なコメントはあまり挟めないだろう。棚の上にあげておく。幼いジョアナは父に連れられてふたりの墓を訪ねる。そのときに父は娘に「呪い」や「宿命」のことを語るのだった。

 

忘れてはいけないよ。おまえのおじいさんと兄さんがそこに横たわっているんだよ。ただ一人の白人に殺されたのではなく、おまえのおじいさんや、兄さんや、お父さんや、おまえのことがまだ問題にもならない以前に、神さまがある人種全体にかけられた呪いによって殺されたのだ。その人種は未来永劫に呪われて、白人種がおかした罪を宣告し呪わねばならない宿命を負っている。おぼえておくんだよ。白人の追っている宿命と、白人にかけられた呪いを。それは永久にお父さんのものでもある。おまえのお母さんのものである。おまえはまだ幼いが、おまえのものでもある。すでに生まれ、またこれから生まれる白人の子供のひとりひとりが負っている呪いだ。だれもそれをのがれることはできないのだよ。 (『フォークナー全集9』 190ページ)

 

アメリカの歴史や、文化や、あるいは文学が好きだったり、そうでなくても、さまざまなものを読み知っている人なら、世界の問題のことがよくわかっているだろうし、だから、こういう記述を読んでも、「まあそんなふうに言うこともできるだろうな」というところで済んでしまうだろうが、私は「呪い」とは何かを少し考えたりした。そしていまの世界で起こっていることを少し連想したりもした。ひとつだけ。私はいまの世界で起こっていることを「呪い」という言葉で片づけたり還元したりそれで巧く語りたいのではなくて、人間が「呪い」という表現で何かを説明しようとするときにどのような説明できないことがその言葉に込められているのかここで考えたいのである。それはそのときの私がしたいことだった。出来事が起きてその影響がのちまでつづくこと、こびりついて離れなくなってしまうことは時系列的なものの言い方である、時系列的であるということは観察の対象になるということだ。しかし人は「記憶」とともに生きているから、記憶はまったく時系列的ではないから、出来事が起きて、その影響がいまこうして悲惨にもさく裂しているという「観察」では納得できないのである。解決できないこと、解決しないことは、一見にして「観察」の「対象」であると同時に私たちのなかで、あるいは、間で(つまり絶対的に外ではない)、「凍ったもの」になる。そして「凍ったもの」は過去、現在、未来をぜんぶうやむやにしてしまって、すべてを規定してしまうのである。起こったことの後世の影響ではない、プログラミング済みの規定だ。解決できないことは未来を規定する。だからすべてをあきらめる、みたいなことを言いたいわけではない。「凍ったもの」をどうするか、ということを考えたい、考えなくてはいけないな、とこの日記を書くまでの日々でぼんやり考えていた。動くのではなく、考える?と二元論的に反省してしまうが、私は、動くための手掛かりは、「信じる」ことではないかと、信じている。たとえば、いくつかの「観察」を学ぶことで築かれる自分の判断を信じること。

 この前、同僚と帰りのバスで、世界のあらゆる言表は比喩なのだという話をして面白かった。凍ったものは自然界ではいずれ溶ける「さだめ」だが、私が口にする「凍ったもの」はおそらく溶けることを前提としていない、前提としていないというか、「それがやがて溶けることを信じる」というような形で使ってはいないのだろう。私が信じたいことはきっともう少し具体的なことだ。比喩としての「凍ったもの」は少なくとも私には日常の「観察」を外れた部分で生じる認識を要求している。

 さいきんのツイートでもっとも目に残ったのは、アイコンの写真が実人物を指しているのであれば40代ほどと思われる男性の次のツイートだった、ここでわざわざ私が性別や年齢に言及していることは「世界でいろんなたいへんなことがあって、あわあわしながらタイムラインを見ていたら、どこかのだれかのふとしたことばに救われました、、、」というようなことをまったく書きたくないからである。そのようなフィクション化に自信があるからこそ、そう思う。私はあなたを知っており、あなたは私を知っている。その人はこう書いていた。

「ニュースに取り上げられないだけで戦争は絶え間なくあった / これからもそうだろう / 私はその一つに一つに反応していけるほど心が強くない / やさしくもない / 申し訳ない / 申し訳ない / 申し訳ない / 戦争や争いごとが嫌いです」 

 強い共感(中くらいの共感ならばある)や、救済された気持ち(ちょっと楽になった程度の気持ちならある)というわけではなく、どうしてこの言葉が目に残ったのかな、と思っていたら、半日後に、それは、その言葉に表れているその態度が私がどうしても大切にできなくて別れた、以前は間違いなく大切だったひとにとてもよく似ているからなんだと気づいた。「私はその一つに一つに反応していけるほど心が強くない / やさしくもない / 申し訳ない」 私は暮らしのなかで他人に反応することがとても大切だと思っているのにまったく反応できなかった時期や人間が存在した、心が強くない、やさしくもない、申し訳ないと言ってばかり(だったかは忘れた)、の、そのひとに反応することができなかった。 そのひとは世界で起こっていることのすべてにやさしくなかった。「そのひとは世界で起こっていることのすべてにやさしくなかったが私に対してはやさしかった」というような物語っぽいこともなくて、人生うまくいかないなあと思っていた。だって自分がやさしくないのだから、自分がもっとやさしくなれたら、と書いたらそれは自己憐憫や自己愛に陥ってしまう、単純にここでは、人生うまくいかないなあ、で終わっておこう。

 けっきょく私は情勢に関するつぶやきから自分の私生活のことを連想してしまって、連想するにとどまらずにそれを日記に書いて表現することはおそらく、ふだんの自分の基準で言えば非常に責められることではあるが、一線は超えていないというか、自分が許せないと思うような書き方はしていなくて(それを述べることが今回の日記の予定だったがいろいろしゃべってるうちにすっかり逸れてしまった)、とりあえずキーボードを叩くのが疲れちゃったので、なにか読み返して自分で気に食わないところがあったらいくらでも書き直そうかなと思っている(それは許せるのかよ~、っていう)。書こうと思ったけどもう疲れたのでやめた、みたいな話題は、そうですね、たとえば、ブルーハーツの「青空」とか、いまの自分はあんまりいい歌だと思えないなあ、みたいな話だ。

 世界で起こっていることにも個人の心にも「凍ったもの」は、きっとある。「それがやがて溶けることを信じる」わけではないが、繰り返し言うようにその心の態度はニヒリズムや厭世に陥りたいわけではないし、凍ったものをどうするか考えて動いた成果はまた違う誰かと接するときにきっと役立つだろう。11月もおしまい。先に挙げた曲に並んでさいきんよく聴いている羊文学の曲は「マヨイガ PHIL REWORK」です。