天文学的七月

 とある人が「人間って学生時代にできなかったことに執着するらしいよ」と言っていた、それをまた別の人に伝えるとき私は「人間って二十代のころできなかったことに執着するらしいよ」と自分で内容を拡大して言っていてなんだかおもしろかった、できなかったことやしなかったことはきっと誰にでもたくさんある、あの言葉はきっと大人になってしまったひとが傍目から見て何か年甲斐もなく醜いことをしてしまったときにだけ使う言葉、「らしいよ」という言葉に当事者性がない、離婚した係長がお金たくさん使ってアプリで若い人と遊びまくってるらしいよ、あの人は学生のときから勉強ばかりだったらしいからね、デートすることもセックスすることも学生時代に知り合ったその人としか知らなかったんでしょ、そうらしいね、まああれはあれで幸せそうだよね、日本語は伝聞の形式で自分をステージから外すような感触がある、英語も面白い、たとえば三人称の小説に "He seemed happy." と書いてあっても原理的に誰がどんな立場からそんなふうに見ているのか決定するのは不可能、私たちは不透明な伝聞・風評・印象・感想に常に巻き込まれる余地を持っている。私たちは彼が幸せであるかどうかさえ断定することはできない、でもそれは日常であっても同じことでしょう?"He is happy."は教科書の中にしか存在しない。

 どうして「学生時代」を「二十代」に拡げてしまったのかは振り返ってみれば小さな理由はあるのかもしれない、じっさい私は新卒で就職しなかったから二十代の大半はずっと学生のまま過ごしていた、というのはちょっと後付けっぽいほうの理由であの言葉をまた別の人に伝えるときに私は長嶋有の「三十才」という『タンノイのエジンバラ』に収録された短編を思い出していた、二十代が終わると当たり前だけど三十才が訪れてまだ三十代という時間の帯を意識せず年齢の十の位がひとつ増えてしまったと十年ぶりに思う、やらなければいけないことやもうできないことがさざ波のように寄せたり引いたりするのかもしれない、ピアノの下で眠る主人公の女性は物語の最後できっと泣く、泣くことはもうできないことだったかもしれない、だけどやらなければいけないことだった、そういう話を思い出していた。執着はしていないと思うけど二十代のころにほとんどしなかったことは泣くことだった、驚いたことに自分の書く小説でも大人はほとんど誰も泣かない。現実ではどちらかというと他人が泣くところを見ている側だったように思う。男が泣くということは、みっともないとか逆に美しいとかは思わない、だがしかしなんとも言い難い迫力があるように思う、そして突然だ。男は突如として泣く。ちなみに本や映画を鑑賞して泣くこととはちょっと違う、本や映画を鑑賞して泣くことはたまにある、今そこに漂っているしんどい何かに対して辛いと思う、泣けるかな、と思って顔をうめぼしみたいにしてみるけど涙が出ることはない、泣く前に泣く自分を作っても日常はそれを許さない。とはいえ「ふとしたときに気が付くと涙がぽろぽろ流れていた」みたいなこともあまり信じていない、実はそれが一番の日常の物語化ではないかとちょっと警戒さえしている、そういう経験がないのですね、と、可哀そうなやつだと思われても見下されても別にいい、忘れているだけで、あったのかもしれないし。というか現象そのものではなくその現象の記述にきっと私はいつも文句や懐疑があるんだよな。泣きたい、というときに思い切り泣くことがいい、「三十才」はおそらくそれを書いている。ほとばしる感情が思考を裏切って涙が零れる、みたいな物の言い方が許せない。十九世紀のアメリカ小説なら泣くのはいつも女だった、家庭小説というのが流行っていた、苦難に涙を流しながら少女たちが成長する、しかしその「成長」は家父長制の枠内なのかもしれない。実は『白鯨』のエイハブもちょっとだけ泣いている、特別な場面だから論文の題材になったりする。ときには論文にしないで喋ってみてほしい。二十世紀の小説になれば泣く男も増えただろう。『八月の光』でジョー・クリスマスが泣きながら女を殴る。ぱっと思いつくその他の涙、映画版『ジョゼと虎と魚たち』の最後で男が泣く。こんなふうに泣けたらいいな、と思わせる泣き方だが、男は棄てる側であって、去る側だ、そうした男の涙を(いいな)と思う時点で、ある意味での自己愛が発生している。

 

 「文は人なり」だろうか? あまり信じられない。正確に言えばそれを他人に適用してその通りだと思うようなときはあるかもしれないが自分に適用することはできない、ある程度文章が書ける人なら誰でもなんでも自由なトーンとリズム、広い可動域の持ち物で何かを書けるのではないかと思ってしまう、たとえばイラストレーターは自分の替え難い「作風」のようなものがあるように見えて実は多種多様なタッチの絵を手すさびで(あるかどうかはその人次第だが)描けるのだろう、小説や文章をあまり作らない人にはなかなか伝わらないが物書きもわりと同じだ、いっぽうで「私はこのようにしか書けない、あなたは私のようには書けない」と自他に認められるものを「文体」と呼ぶのだろうが私には文体はない。「私はこのようにしか書けない」という作家的な自己プロデュースが覇権をとりすぎていないか?と思うときもある。自分の手の内にある、ある程度の器用さを封印して、自分の地の声で原稿を作っていくことがいちばん然るべき道であることは間違いない、それが「このようにしか書けない私」に繋がっていく。「ある程度の器用さ」これが最大の敵なのだと思う、作品が却下されるたびにそう思う。とはいえ私はどうしても、その、「地の声」のようなものに疑いを持ってしまうのかもしれない。「あなたのさまざまな文章の中に共通する本当の声が好きだ」と口にするその思考の形式のようなものをあてはめられてみたいという気持ちはある、本当は「"本当の声"なんて無いんですよ」と言いたいのに、そう言われたらきっととても嬉しくなってしまうだろうという点に、物を書く人間(私)の限界も感じる、そもそも自分だってそういう物の言い方はよくする、よくするのだから本当にこの段落は「たまにはちょっとそういうことも言ってみたい」というパートであって7月25日(火)は仕事に区切りがつく日だったので夏休みが始まった気分でお酒を飲みに行った。鳥ユッケおいしい。さいきん飲んだあといつもスペースを開いている。話せて嬉しかった。7月26日(水)と7月27日(木)のことはあんまり思い出せない、半分夏休み気分とはいえひたすら仕事していた、羊文学がカバーしたゴイステの「銀河鉄道の夜」が好きになった。ゴイステ、銀杏といえば「夢で逢えたら」をよく聴いているってちょっと前の日記に書いた。「君の胸にキスをしたら君はどんな声だすだろう」という歌詞はいいと思う、たぶん十代のころは、それは、「あっ」とか「ひゃっ」とかあるいはもっと青春と性のことを無意識に想定していたかもしれない、しかし「声」という言葉にはいつも曖昧性がある、簡単な例で言えば子どもが転んだときに「うわぁん」と言ってもそれは声、「痛い」と言っても声、私があの歌詞に想定していたのは前者のほうで、「僕」が期待しているのは、もっとひとまとまりの言葉、意味をもって耳に届いてくる文としての「声」かもしれない、ん?そもそもそういう歌だったのかな、などと考えてもっとこの歌が好きになった。7月28日(金)はひとと飲んだ。相手に「あなたは男前ではないですか」とほめたら、「まあ自分でもそれは分かってる」みたいな感じで照れていたのが印象に残っている。数分後、そのひとは私に「肩の筋肉を触ってみてくれ」と言ってきた。触ってあげた。帰り際に抱きしめてくれた。あげた・くれた。もうひとりは「手指の色と同じですね」と足の爪を見せてくれた、なんだか照れて黙ってしまった。くれた・しまった。座敷は楽しい。この日の夜はそこからが永かった。7月29日(土)は低調だったが夜にカレーを作って食べたらちょっと元気が出た。深夜はツイッターでたくさんつぶやいて自分を平常にもっていく。7月30日(日)はお昼から図書館に行く。持参した「ワーニャ叔父さん」を読んでグッとくる。「ドライブ・マイ・カー」を観て以来興味があり、やっと読むことができた。やっぱりそれぞれの本の読書には適切な時期があると思う。ワーニャとソーニャが「仕事をしなければ」と言うのが本当に好きだ。この「仕事」は原語で言うとどのようなニュアンスのものなのかとても気になるし、幅の広い言葉なのではないかと勝手に期待をした。批評界や読書界(というのを想定するとして)、とにかく単なる日常や家族の話が好きではない人たちがいる、それはよくわかる、とはいえ私はそういう人たちの華やいだ文学論の影をずっと歩いてきた、古典、さらには殊に戯曲を読むと励まされるのは人間が単にそこにいて悩み怒っているだけのものに出会えるからだ、テネシー・ウィリアムズの「焼けたトタン屋根の猫」はただ一軒の屋敷のみを舞台とし、家族という枠内に居る人間たちの苦悩は世俗の域を出ないのにあんなにも心が動く。持参したものを15時過ぎに読み終わったので夕方までカポーティの伝記や北村一真『英文読解を極める』などを読む。後者は全体の三分の一くらいしか読まなかったが有益だった。なぜなら英語の先生はよく(英語は)「前から読め」「後ろから読んでもおk」「いや後ろから読むな」「英語の順番で読め」と実に多種多様な主張を言って学習者を困らせるが、この本では英語を英語の順番で読むとよい理由・困難・コツ・考え方などが非常に明晰に言語化されていた。「私は・本を・読む」という語順が「私は・読む・本を」という語順になってしまう点が、日本語と英語の違い、もしくは躓きとしてよく取り上げられるが、実はこのことは中学英語程度であれば完全にフィーリング(慣れ)、以降は文型や自動詞・他動詞というものをちゃんと理屈で捉えればそんなに難しくない。じっさい、一般的な英語を読むときに問題になるのは、「後置修飾」がふんだんに織られていることが前提となっている英文を、ひごろ日本語だけ使っている頭でどう認知していくかであって、そのあたりを非常に上手に説明していた。なるほどたしかにそんなふうに読んでいるわ、と言語化の快感があった。

 金曜日にカポーティの『冷血』を読み終わり、日曜、彼の伝記を手に取った。とりあえず『冷血』周辺の章だけ。彼は『冷血』に出てくる二人の殺人者、自分が作品の題材とし、同時に何百通もの手紙のやり取りの中で深い親交を結んだ二人の絞首刑を見届けた。彼はそのとき吐いた。私は「吐いたらしい」とは書かない、伝記は「らしい」を隠すことで成り立つ文章だから敬意を示す、そういえば『冷血』こそが、「らしい」を殺すことで成り立つ文章だった。カポーティにしてみれば「らしい」を隠すどころではなく徹底的に潰して殺すことが必要だった。あまりにも綿密な描写と、断定のスタイルをとったたくさんの判断と推測、ジャッジ。殺人犯のディックとペリー、カポーティは特にペリーに惹かれた。ペリーは、彼は幸せではなかった。そのような生涯ではなかった。そのように断定することも小説だ、それが傲慢だなんて言えるのはカポーティの内なる声にしか許されていない。私をジャッジしないで、と言ってしまう、言わせてしまう。逆に断定していくことでしか推進されない形式があなたの本棚に置かれていることにあなたは驚いてしまう。すべてが「そうらしい」「そうみたい」という小説はあり得ない。「三十才」の主人公が自分をジャッジする、「私は泣いていいのだ」。カポーティもきっと「私は泣いていいのだ」、「私は吐いていいのだ」と思った、「私は書いていいのだ」と長い長い取材生活の前後でしっかり留め打ちしなければならなかった。ほとばしる感情が思考を裏切って涙が零れる、みたいな物の言い方が許せない。

 月曜の朝は曇っていて気持ちが良かった。毎日あまりにも晴れていても仕方がない、ちなみに今はまたいつものような酷暑晴天となっている。七月もおしまい。もうほとんど誰の記憶にも残っていないバンドの「天文学的七月」という曲を聴く、天文学的な感情が思考を裏切って涙が零れても原稿料にならない。