むきーっと暴れてぎゃーっと泣いてしまいそうな日記

1月3日 (水)

 昼間、「オレもこういうことやりて~」とか呟きながらNHKの「俳句甲子園」の特集を、お雑煮にモチのかわりにうどんを入れたものを食べながら観る。まるですでに大学3年生のように顔が落ち着いている(顔が落ち着いているって伝わらんか)高校生の青年にフォーカスがあてられていたが、この子の番組への受け答えがまるで大谷翔平選手のように整っており、その整い方に危うさを感じたり、ほんとうにはたち越えてるみたいじゃんと思う。そういえば夏に本物の甲子園を見ていたときも私は、慶応の眼鏡の選手を見て(まるですでに大規模なイベントサークルの代表みたいな風格だな)と思ったのだった。クソガキだった自分と比べているのだろう。

 文化部的な中高の青春はほんとうに私とは縁の遠いもので、私の通っていた高校には演劇部や写真部があったが、前者は変わり者の集まりとみなされていて、後者は撮り鉄の大柄な子以外は幽霊部員ばかりで実体(実態)が無いに等しく、いま思えば私は演劇部の人たち(がしていること)にはひそかな憧れを抱いていたかもしれない。じつは私は入っていた運動部の面子といちど映画を撮ろうと発起して台本を書いたことがあるのだ。もちろん、この計画は台本を書いただけで終わった。だから私が小説の賞をもらったとき、周囲の反応はたいがい「え、そんなことしていたの?」という具合だったが、高校の友達たちはわりと納得してくれた覚えがある。また、大学に進学したとき、そこでの「写真部」とはおしゃれな人たちの集まりだったので、そうなのか~、と思ったものだった。

 俳句甲子園はただ句を披露するのではなく、その鑑賞や解釈を交わし合って句の良しあしを吟味していくようだった。それはとても楽しく刺激的で、たしかに勝ち負けがつくことだろうなと感じる。まだ大人になりきれていない16,7の時分にそんなことをして負かされたら、むきーっと暴れてぎゃーっと泣いてしまいそうだなあと思った(もしかしてオレはいまでもそうなのではないか、と思うようなことが一年に一度はかならずあるのだが......)。だれもが自分にとってとても安心で安全な領域で、何かを創る自分が何かを創る自分を大切に大切にできる時分に、こうして他者とぶつかっていくことは青年たちの今後にきわめて大きなものをもたらす、と考える。まあ私も、平成生まれのキッズらしく十代のころはいろいろとネットに公開して数多のジャッジを受けたものだった。それでも、ネットに何かを放流することと俳句甲子園はまた異なることである。

 高校生のころ、自分にとって詩というのは俳句や短歌、現代詩ではなく、小沢健二や曾我部恵一や佐藤伸治であったなあ。

 夜、晩酌したかったのだが、機を逃して爆睡。この日は朝起きるのがとても早くて昼過ぎには思わず昼寝した。起きたらかなり元気がみなぎっていたのだが、かりそめの元気を夕方ぜんぶ消費してしまったので夜は爆睡。

 

1月4日 (木)

 石川へ帰る。帰る前に大きなデパートに立ち寄って大きな本屋に行き、『世界』の1月号とつげ義春の漫画と和山やま『ファミレスいこ』と、結城正美『文学は地球を想像する』(岩波新書)を買った。本の初買いだ。『世界』の12月号を地元にいるとき、年末年始休業に入る直前の図書館に飛びこんで借り出していた、12月号ということは11月の上旬に出版されたわけだが読もう読もうと思っているうちにけっきょく年末になってしまったのだった。心や周囲が完全に年越しモードになる前に実家でガザの特集を読んだが、ジュディス・バトラー「追悼のコンパス」はさすがに響いた。人文学的な自分、人文学的な考え方、というものが再確認された。コピーするか改めて購入しなければならない。ふりかえるべきは氏の『脆弱な生』であろうか。私にとって思い出深い本である。

 新幹線のなかで『ファミレスいこ』を読んだが、雰囲気がちょっとだけ不穏だったり、ファミレスでの客の会話の様子、バイトの先輩とのやり取り、そういうものが『シガテラ』以降の古谷実の漫画をほうふつとさせた。下巻への引きはどきんとする。その後目にしたネットの感想のなかに「クィア・ベイティング」という言葉がでてきて、仕事が始まったら同僚のひとりに講釈を受けたいと思っていたのだが、会うたび忘れてしまって、まだ聞けていない。

 そもそも北陸新幹線がガラ空きだったのだが、三が日が過ぎ、元日の地震で大きく揺れた金沢駅はなんだかとても寂しく元気がないように感じた。

 

1月5日(金)

 地震後の自宅や職場の様子はいろんなひとに同じ内容を伝えて、あらためてここに書くことが疲れる(疲れる予感をキャッチした)ので割愛する。ブログの日記をまた本にするときなどに加筆しましょう。ツイッターやラインで連絡をくださった方には改めて感謝を申し上げたい。私の住んでいる山の上は、今回のようなケースだとむしろ避難先となるような場所であって、誠にたのもしき山の上でありました。

 職場ではいつも会っている同僚のうちふたりと会った。さまざまな情報共有や状況把握をする。3日、風の強いときにかがんで煙草に火をつけたら垂れた前髪が燃えてしまったのだが、その話をしたらまったく同情されずに笑われた。よかった。日常の予感である。ちなみに燃えた髪はりさこさんにちょっと整えてもらったので現在まったく元通り。マジで気を付けましょう。

 夜はいつもの居酒屋に行く。

 

1月6日(土)

 夕方、崩れた本の柱をだらだら片付ける。年末にディスクユニオンチャゲアスの『スーパーベストⅡ』を買って以来、毎日聴いている。「SAILOR MAN」という歌が気に入っている。メルヴィルもa sailor manだからなんだか縁を感じてうれしいものだ。歌詞カードを読む前は、サビのSailor man, sailor manと歌っている声が「セイ!ロマン!セイ!ロマン!」と聴こえていて、セイ・イエスだけじゃないんだあ、とか考えていた。もしくは、「せいろマン!せいろマン!」と聴こえていて、シューマイ王国のせいろマンのことを想っていた。まあ、嘘だが......。そう聴こえたのはほんとうである。

 

1月7日(日)

 正月気分が終わったあとはずっと近所の町中華チャーシュー麺が食べたかったので、正午になったらすぐに家を出た。ラーメンの写真といっしょに、

 

これがオレの七草粥である。七草とはつまり、チャーシュー、チャーシュー、チャーシュー、チャーシュー、チャーシュー、チャーシュー、チャーシューのことである。

 

とツイートしようと思っていたのだが、チャーシューの数を数えたら5枚だったので中止した。誠に立派なやつであることよ。

 山の下に降りてイオンに行く。一階のサービスカウンターで煙草を買い、二階の小さな本屋をちょっとだけ眺めて、また一階の「ふれあいの広場」でぼんやりするのがルーティーン。「ふれあいの広場」というのはイオン的なデパートに必ず設けられている、テレビや自販機がある、座って休憩できるスペースである。地震の影響で「ふれあいの広場」は一時閉鎖されていた。代わりに二階をいつもより長い時間ぶらついた。おもちゃコーナーが狭くて、こんなに狭いんじゃ、この地域の子どもたちがめげるのではないかと感じる。だが、さいきんの子どもは、ヴィデオゲームはダウンロード購入で、タブレット端末がさまざまな電子おもちゃの代わりになるわけだし、モノとしての玩具はあまり欲していないのだろうかねえ。

 

1月8日(月)

 日曜の日中から、連休の最後は映画でも観たいなあと考えていて、観ようと思っている映画は朝の10時からだったので、早めに起きなければいけない。そんな日の前にかぎって、はちゃめちゃに夜更かししてしまう。そもそも休日だし、こんなときは十中八九自分に甘くなって寝過ごしてしまうのだが、なんと8時にばっと起き上がることができた。真面目なことや自分の固い主張や違和感の表明みたいなことを私はあまりツイッターで発信しないほうかと思うが、予想外に体が起きて、頭のほうはまっしろになって「素」になってしまい、(眠気覚ましにもなっていいや)と思ってなんか書いた。「長い時間をかけて変わるしかないことや反復してしまうことこそがその事象の核心になっていることもあるだろう。一見良識的で殊勝な発言から(自分が生きているうちに日本や世界がこうなって欲しい)という、実はとても自己中心的なんじゃないかという態度を感じることもある。」起き抜けに悪名高い「おすすめタブ」に流れてくる知らない人の発言を読んでふと感じたことだった。むかし読んだ哲学の本の内容も少し思い出していた。夜、自分のこの言葉を読み返して、「一見良識的で殊勝な発言から(自分が生きているうちに日本や世界や他人がこうなって欲しい)という、実はとても自己中心的なんじゃないかという態度を感じることもある。」と考えてみたら、自分としてはとても通りがよくなって、腑に落ちた。なにより、こうして言葉をひとつ書き足してみるとやはり自分の考えたことは他の誰かに物申す事柄にはなり得なくて自分にも多少返ってきたのだった、やはりそこで思い浮かんだのは前の妻のことだった。だけどそれによって自分を責めたり悲しくなったわけでもない。胸がぎゅっと絞められるような感じにそのときなったとしたらそれは、前の妻と過ごした経験がありきたりな物語のように心に残っているわけではなくて何を見て何を感じてもそこにその経験が、川のように流れていたりうたかたを浮かばせていることを肯定的に捉えられることもできるのだという励ましである。これからの暮らしで、前の生活が痣や傷のように残るのではなくヒントにできるという、そう考える自分を肯定できるという外から降ってきた励ましである。秋からの日記には夏に離婚した妻のことがちょろちょろ顔を出していたが、よいきっかけを得たので今後の自分の文章にはしばらく書かないことにしたいと、この夜、自然に思われた。さて、このツイートについて特定の文脈に受け取られて自分の人格や態度にレッテルを貼られたらどうしよう(まあいいや仕方ない)と朝は思っていたが、これならばその「文脈」が葉脈のようにひらいたな、と感じた。ぱっ。