習字教室で裕二が私を気にしていることはわかっていた。耳や鼻から毛のはみ出た書道の先生は、子供の目からすると自分たちの祖父母より年寄りに見えた、私たちは習字が書けると朱をしてもらいに先生に持っていくが、それを待っているあいだ先生はよく眠っていた、席を立ってしばらく戻らない時間もいつもあった。そうなると私はピアノ教室の布製の手さげからポータブルのMDプレーヤーをこっそり出して、正座している両膝の間に挟み、イヤホンを耳に挿した。今までレッスンしてきた曲や単に私の好きな曲、そして数時間後に練習することになる課題曲を通して聴いたり数分ずつ聴いたりした。周りの子たちの私語をシャットアウトできるし、なんとなくの予習にもなった。私がイヤホンをつけると裕二が自分の方をちらっと見る。皮膚で彼の視線を聞いているようで少し居心地が悪いのだった。
土曜に習字教室は昼過ぎから開いていて、午後三時くらいには終えることができる。そのあと夕方過ぎまでピアノ教室で過ごす。二種類のカバンを持ち歩くことは恥ずかしかったけど、土曜の子供はみな忙しい。そのとき五年生だった裕二は、少年野球チームの、少しぶかぶかのユニフォームを着てよく習字教室にやってきた。もちろんユニフォームはまだ泥だらけではない、彼も三時過ぎから練習があった。今にも弾け出しそうな腕や足がざぶとんの中に収まっていて、その姿が教室の中でなんとなく可愛らしく微笑ましいものとして捉えられていた。たまに私服でやってくる週もあったが、そのときは裕二の中にある「男の子」がまっすぐこちらに向かってくるようで少し身構えた、音楽を聴く私を見る裕二が気になるのもそんなときだった。
その日教室は混んでいて、私は裕二の隣に座ることになった。奥にいる先生がうとうとし始めると、私は習字かばんから墨汁を出そうとして、無意識にピアノ教室の手さげをさわっていた。裕二が私の手を見ていることがわかって、私は裕二をちらっと見た。
裕二は、いつも持ってきているよね、と言った。私はてきとうに、君も持っているの? と訊いた。彼は首を横に振った、私は「家にもないの?」と訊き、音楽には興味ないんだよな、と聞こえた。私は裕二にドビュッシーを聴かせてみた。彼はイヤホンを耳につけることすら初めてであるような手つきだった。再生ボタンを押すと、彼の小さく赤い耳から海の太陽の粒がこぼれているようだった。不思議。こんな音、聴いたことがない。音楽は、発表会を行う市民会館や音楽教室、そして耳のうちにだけはっきりと存在するわけじゃないということがわかった。
あのころはイヤホンに線がついていたし、イヤホンから音が漏れることもふつうだったと思う。
だとすると私は静かな習字教室で毎週クラシックのピアノ曲を音漏れさせていたということになるが、親の言いつけを守っていつも控えめな音量に設定していたし、私のとても近くにいる人にしかそれは届かなかったはずだ。
それは二分間くらいのことだったろうか、私は彼の耳からイヤホンをそっと抜いた、裕二はそのせつなに自分の耳に入ってきたものに対していいとも悪いとも言わず、「これ、ドビュッシー」という私のつぶやきに対して、教室に響くほど大きく笑った。ほかの生徒が驚き、口の端によだれを溜めていた先生が起きる。その外国人の名前を面白く感じたらしい。
習字教室に通う男子のあいだでドビュッシイナというあだ名が私につけられてしまった。
ガキだと思った。
人間はいろんなものを射出しながら生きているのだなあ、という考えは、もともと、ぼんやりと私の中にあった。自分の体だって当たり前にそうだし、弟が生まれたとき、木の芽みたいなちんちんからおしっこがぴゅーっと出たり、母の黒いおっぱいから乳がぴゅーっと出たりするところを何度か見た、私のとても近くにいる人たちの射出だった。
七百万年くらいの歴史があるらしい私たち人間は、むしろ、いろんなものを射出せずにはふつうに生きていけないのだなあ、という考えに至るころには、私はもう自分のとても近くにいる人たちとだけ暮らす歳ではなく、中学校という場所では、他人との近さと遠さを調節する練習をいつもすることになった、もうピアノの練習はしなくなっていた、書道もスイミングスクールも小学校までで終わり。それからは土曜の夕方だけではなく毎日、柔道の練習をした、過酷だった。
柔剣道場は、音楽教室とは異質な音であふれている。練習を律するタイマーのビーッという音、体が畳に投げ落とされる音、ぶつかり合う竹刀や防具の音。剣道というスポーツについて中学生になるまでなにも知らなかったけど、隣で練習しているのが目や耳に入って、かならず「ギャーッ」とか「ウォーッ」「ヤアーッ」と叫ばなければいけないらしいことがわかった。教室では物腰柔らかで闘争心のかけらも感じさせないマイちゃんも、夕方になればずっと絶叫している。射出だ。剣道部の人たちとは意味は違うとも、思えば、世間には言葉をいつでも射出せずにはいられない人ばかりだということに私は気づいていく。いや、見方を変えれば、そもそも人間はみな、言葉や液体を射出せずにはふつうに生きていけないのかもしれず、でも、「ふつう」ってなに? ということを深く考えられるほどそのころの私は大人ではなく、ただ、ふつうに生きていくことの根本的な恥ずかしさやむずかしさが、私の、県大会準優勝を果たすほどの身体の内側にぼんやり灯り始めていた。
その日の部活の終わりには、黙想、礼、のあとに顧問の先生が一年生に、もっと声を出せと指導した。夏が過ぎ、三年生が引退したので、一年生たちはそろそろ部の一員として試合に出ること、そして勝つことを意識しなければならない。いつまでも初心者気分の「かわいい一年生」ではダメだ、というようなことを先生は言った。柔道は剣道と違って声出しは必要ないが、試合が始まったときや、「待て」から仕切り直すときに「や!」「は!」「らーっ!」と短く発声することはある。先生はそれをしろと一年生に言っているのだ。まず気持ちで負けるなということ。柔道は勢いと冷静さの足し引きのスポーツだ。「いいな?」と先生が言ったときの一年生連中の反応が悪く、先生はちょっとイラついたように「恥ずかしがるなよ!」と怒鳴った。びくびくしている後輩たちの中に裕二もいた。いちばん痩せっぽちのちびで「かわいい一年生」の筆頭だった。
私は柔道部で毎日裕二をしごいていた。私も中学校に入学したときはただの初心者だったのだが、ずいぶん性に合ったみたいで気づくと上級生の男子も投げ飛ばせるようになっていた。顧問の先生は日頃から一年生の男子たちに、椎名に鍛えてもらえ、と促している。男子の上級生たちは、強いやつは強い男同士で乱取り(自由に立ち技を掛け合う練習)や寝技練習をやりたいようだし(おそらくその集団の九割に私は勝てる)、弱いやつは私の練習相手が下級生になると安心するようだ。実際私の投げは上手いので、一年生は受け身の仕方だけはばっちりだ。私が強くなりすぎたせいか、女子の部員にはさいきん練習中に限っては敬遠されている。
男の子にも女の子にもいろんな部員がいた。柔道とはスポーツと同時に格闘や武道であって、表面的には短足、ガニ股、筋肉、いかついとか武骨だというイメージがあるけど、少なくとも中学校の柔道部というものは、どのスポーツにもあまり関心がないけど文化的なこともできず、ただ運動はしておかないと、と思う生徒たちの受け皿になっていることも多いはずだ。私の部活には、でぶもいれば痩せもいて、熊、豚、猪、あるいは狼もいれば、美人にハンサムボーイもたくさんいた。その、いろんな男の子や女の子と毎夕とても近くまでぶつかり合う、体そのものを握ったり触られたりする必要性があまりないことが面白く感じる、柔道は柔道着を掴んで引っ張るときの物理学で成り立っているのだ。それでも他人がこんなにも近くにいる。
あくる日も寝技の時間、裕二は苦々しい顔で私に「お願いします」と言いにくる、柔道着の分厚い繊維にそれぞれの汗が染み込んだ匂い、四肢を抑え込まれて漏れ出る情けない吐息、変声期直後の頼りないふんばり、裕二と私は、ある時期に同じ習字教室に通っていた昔を忘れて、まるで柔道部で初めて出会ったかのように接していた。たしかに小学六年生と中学二年生は何もかもが別人だし、小学五年生と中学一年生も別人なのだ。私はドビュッシイナではない。月日を経るほどあれは下品なあだ名だったなと思うようになった。裕二がそれを口にしたら、絞め落とそうと思う。
九月の終わり、裕二が畳の上で大の字になって口から泡をふいていた。
ほかの部員たちが(ちょっと面白がりながら)騒いでいる。
「裕ちゃん、誰と寝技やったんだ?!」
「椎名だよ!」
裕二は気絶から戻ると逃げるように柔道場を出ていった、「一礼」も欠かすほどだ。
私は柔道場の隅でむすっとしながらテーピングを巻いていた。その日の練習前、男子更衣室から禁断の言葉が聞こえた。寝技の時間、私は裕二を真っ先に呼んだ。絞め技がきれいに決まった。柔道は中学競技になると絞め技が許可されて、高校では関節技が許可される。彼に畳を叩く余裕さえ与えなかった。絞め技は柔道着の物理学における真髄だと思う。
裕二の寝ていた畳が濡れている。裕二が口から泡をふいただけではなく失禁していたことに気づくと、部員たちは大騒ぎになった。顧問の先生が駆けつけて、誰か畳マットを拭いてやれと言った。部長が一年生の後輩たちに指示をしたが、彼らは嫌がった。部長が私をにらむ。私はにらみ返した。けっきょく顧問の先生がバケツとタオルを持ってきてそこを手早に拭いた。裕二は柔道場に戻らず、その畳マットは残りの練習中みなから避けられた。練習が終わって黙想、礼、のあと先生は「お前らにはがっかりだ」と嘆いた、上級生の誰かが手加減なく初心者の一年生を絞め落としたこと自体は不問になったようだ。一年生たちが箒を持ってきて柔道場の掃除を始める。おしっこマットはやはり避けられた。
更衣室の中にある小さな机で学校の宿題を途中までやってしまうのが私の習慣になっていて、気づくと私以外の部員は男子も女子もみな柔道場から出ていた。入り口に体操着の裕二が見えた。私がにらみをきかすと彼の唇はびくりと動いたようだった。彼の足元にはタオルと洗剤があった。
裕二は言った。
「保健室の先生に事情を言って、下着と清掃用具を借りたんです」
「よかったね、保健室の先生が優しくて」
「椎名先輩も優しい人だと思ってたんですけど、なんかやばかったです、へへ」
「上手に首に入りすぎた、わりーな」
裕二が黙ってしまったので、私はふと、「でも気持ちよかったでしょ?」と言った。きれいに「おちる」ときは苦しくなく、むしろスッと意識が引いていくのが気持ちいいものだと、よく言われていた。私は「おちた」ことがない。柔道が強いからだ。
裕二は、はにかんで「わかんねえっす」と言った。
ふつうに生きていれば柔道や宿題のほかにもやっていくことになるらしい営みの中に、首を絞めながらあれやこれやを射出したりされたりするスタイルもあるということを私が知ったのはもちろん、少しあとのことだが、それがとても気持ちいいとしても、暴力がないと射出できない人間の在り方を、ふびんに思ったりもした。柔道着の物理学の枠外にある絞め技は、暴力なのではないだろうか。でも、それが当人の愛の物理学の真髄なのだと言われると、困ってしまう。私は七百万年の履歴を数える。愛は、とても近くにいる人から受け取るものだ。
私は裕二が畳マットを拭くのを眺めていた。顧問の先生が一通りきれいにしたはずだが、自分で改めて掃除しなければならないと思ったらしい。終わりかけの夕陽が柔道場にひたっている。
わずかな罪悪感が私をそこに座らせていた。
私はひまで、そばにある通学かばんから携帯電話を取り出したくなる。しかし、そのようなときに限って剣道部の顧問などが立ち寄って、叱られてしまう予感もある。このときの手のひっそりした動きに私は、習字教室に持ち寄っていたMDプレーヤーのことを思い出す。すると、裕二もこんなことを言う。
「椎名先輩って、荒町の習字教室に通ってましたよね」
「うん。山岡もいたっけ?」わざとしらばくれる。
「はい、一年間だけだけど……」
「そう、覚えてない」
そこから私たちは少し会話をした。私は「あのころ不本意なあだ名があって、それがなぜか今日の部活前に男子の更衣室から聞こえてきた」と、さも貴様に黒い歴史を掘り返されたとでも言うような恨みがましい語調でつぶやいた。「それはお前の声である、だから制裁を下したのだ」とまでは言葉にせずにいた。すると、私の本当に覚えていなかったのは、同じく柔道部の一年生男子である村田もその習字教室にいたということだ。更衣室で村田が、私のあだ名をふと思い出したように叫んだらしい、私は男の子の声をまったく聞き分けられていない自分に気づいた。
私はなぜ村田の口からあのあだ名が射出されたのか、裕二を問い詰めた。
中腰になっていた裕二は小さい尻をむずむずさせてはぐらかした、そうか、「射出」に関する話をしていたのか。
貴様らは、いつもそればかりである。
恥ずかしくないのか! という口の先まで出かかった言葉を呑みこんで、「恥ずかしくなかった?」と裕二に訊いた、それは、言葉は同じでも意味が違った。きっと単に射出されるだけではなくちゃんとした重みと思いを乗せた言葉だ。
「おちたことがですか」
「うん」しかも泡ふいて失禁したし。
「恥ずかしいです」
「ごめんね」
「いいっす、おれが弱いだけです」
あ、そう。それなら、という気持ちで、私はその頬をつねりたくなる。
「これより恥ずかしいことがあるのかな?」
うーんどうだろう、と裕二が呟いて、あ、敬語じゃなくなった、と私は思った。
「試合に負けたら恥ずかしいです」
「じゃあ私は恥知らずだね」
「椎名先輩はマジで強いっすからね」
負けたから恥ずかしくなる、なんて、ずっと単純な種類の恥ずかしさだと思うな。私たちこれから、ただ生きているだけでたまらなく恥ずかしくなるっていう瞬間もあるんじゃないかな。……それはきっと、単に射出されるだけではなくちゃんとした重みと思いを乗せた言葉のつもりで、それは、夕方午後七時十分前に誰もいない柔道場で、私からあらゆる意味でとても遠い存在であるちんちくりんの男の子を前にしたときにだけ、私の体に許されるような表現とトーンだった。自分の考えを言葉にするのは、恥ずかしいのだ。そういや、七百万年前から思ってたんだけど、ぶっちゃけ言葉を使う生き物としてやっていくこと自体が恥ずかしいでしょ。だから柔道やピアノが生まれた。
裕二の返答はと言えば、「椎名先輩は強いから、初心者の気持ちなんてわからないんだ!」と柔道場を出ていってしまった。違うそうじゃない、スポ根がしたいわけではないのだ。なんかとてつもなく、腹が立って、そのあと鼻柱の奥がぎゅっとなる。ただそこにいるだけで、何かが垂れてきちゃって、たまらなく恥ずかしくなるっていう在り方を言葉にしたかっただけ。ほらちょっと目から水が垂れてきて、こんな自分がほんとうに恥ずかしい。
村田が畳の上で大の字になって口から泡をふいていた。
ほかの部員たちは、前の日にも起こったことであるゆえ、落ち着いていた。
「村田、誰と寝技やったんだ?」
「椎名だろ」
私は柔道場の隅でぼんやりとテーピングを巻いていた。昨日、裕二から聴取したことに想いを巡らせていた。一年生の男子たちは「射出」にまつわる話をしていて、それが私のあだ名につながるということは、もしかすると連中の誰かが私を手段として射出をなしたのかもしれない、それを告白したとき、当人をなじる言葉として、村田の頭にあの言葉が連想された……と。
不愉快だが、耐えていかなければいけないことなのか、言葉によって異議申し立てできる案件であるのか、困惑した。とりあえず休憩が終わったあとの乱取りで、一年生の男子たちを徹底的に投げ飛ばした。途中で半べそになっていたやつもいた。恥ずかしくないのか? 自分があまりにも暴力的にも思えた。が、柔道着の物理学の枠内にある行為は暴力ではない。
練習が終わり、黙想の時間、私はやっぱり昨日のほうが上手く絞め落とせた、と考えた。村田に聞きたかったことを、代わりに、帰り道に見かけた裕二に聞いた。ねえ、気持ちよかった? それ、昨日も聞きましたよ、と言われて、ナイフみたいな恥ずかしさが肩に降りた。文脈を知らない生徒がそこへ通りかかって耳にしていたら私は、単なる変態だし、裕二にとって私は、どんな上級生に写っているというのか。
そしてさらに、その質問だけをして彼を通り過ぎようと思っていたが、よく考えたらその行為はかなり変な人のそれであり、「昨日も聞かれた」と言われて私は輪をかけてばつが悪く、だからといって理由もないのに後輩の男の子と帰り道をふたり並んで歩くのも意味が不明だった。
裕二もそうだろうと顔を真っ赤にして私は思ったが、意外と平然としている。
「じゃあ、なんて答えたんだっけ?」
「わかんねえっす」
私は彼の口調を真似て、わかんねえか……、と呟いたのだった。
私たちは夕暮れた町を黙ったままふたりで歩いた。向こうから歩いてきた高校生のカップルとすれ違って、なぜか死にたくなるくらいここで息していることが恥ずかしくなる。じゃ、と言って早歩きで遠ざかることもできたけど、その作為に費やす体力もない。開き直ろう。もともと彼はただの後輩、自分の遠くにいる人間、「心を開けるフレンド」百位圏外、実際の、身体の、距離がこれからどれだけ離れてしまっても、逆にぐうぜん、なりゆきで近づいても、どうでもいい。いまはたまたま、私たちの歩幅が合っているだけさ、と思いながら家までの距離をはかっていた。が、裕二があそこ行きましょうとつぶやいて、私たちは自分らが小学生のころよく遊んでいた小さい公園に入った。今は遊具などが外されて公園というより空き地、人気ない廃墟だ。児童たちの足も遠のいている。裕二は手入れされていない茂みのひとつから、公園の自然色とキツい対照を放つ色彩の漫画雑誌を取り出した、そして表紙のイラストをよく見ると、それは紛れもなく、いわゆる成人向け漫画雑誌である。
私は後ずさった。
「なに? ありえん、きもいんだけど」
「でも女子も興味あるって聞いたことあるけど」
私は意味のない言葉で防御した。
「敬語を使え」
「ハイ」
まるで図書館の本をたぐるようにエロ本を扱いながら裕二がつぶやく。
「でもこれは、陸上部の二年生の女子が万引きしてここに捨てたって噂ですけど」
そして裕二の口から私とも仲の良い子の名前が二、三出て、くらっとした。
裕二は手元にあるエロ漫画をめくって何かを吟味している、探しているようだった。射出の予感はおろか、まったく興奮もせず紙面をめくっていく裕二の姿を私は不思議がってしまい、帰ってもいいか、とか、冷たい言葉を投げづらくなった。複雑に興奮していたのは、むしろ私のほうだった。
「見てください」
裕二は私にひとつのコマを見せた。実に卑猥な場面であった。射出している。
「キモい、セクハラか」
しかし、私は裕二に二日続けて言葉によるセクハラをしてしまったのかもしれず、私はいま彼にセクハラの仕返しを受けているのかもしれない。
「すんません。や、なんか、見てほしいのは絵っていうよりこれなんですよ」
裕二が指差したのは文字、言葉だった、それは擬音だ。
「だからなんなん?」
こんな音は、出ません。裕二は恥ずかしそうに言った、そのせつな、すべての興奮は終わった、私は彼の顔を、見られるようになった、二人で歩き始めてから、彼の顔を見ていなかった。
「お前、なんなん? 何をわかってほしいわけ」
「や、なんか、わかんねえっす」
その裕二の行為とか、声、表情は、たぶん、単に射出されるだけではなくちゃんとした重みと思いを乗せた言葉のつもりで、私がごてごてに意味づけて心の中に仕舞い込むには、長い時間がかかった。七百万年が経って、いまもまだ、その途中なのかもしれない。「こんな音は、出ません」という事実は、「気持ちよかった?」と言ったり言われたりする、ふつうの人間であるためには、定期的に営む必要があるらしいその行為においては、大して役に立たなかったが、人間はいろんなものを射出せずにはふつうに生きていられないとみなされるような在り方に対しては、意味があった。あっただろうと思う。
が、そのときの私はただ、自分もこの男の子に、お返しとして、彼の知らないことを教えなければいけない、という直感に駆られた。しかし、私の体から、彼に捧げられるものは、いかなる意味で、何もなかった。言葉でさえ、そうだった。私が思いついたのは、すでに昔、裕二の体から教えてもらったことだった。それを彼に伝え返すといい。
私の学生かばんの中に昔使っていたMDプレーヤーが入っていた。合唱コンクールで歌う曲の打ち合わせのために持ってきていた。プレーヤーの中には小学生のころ聴いていたMDがそのまま入っていた。たとえば習字教室でこっそり聴いていたもの。
私はかばんからたぐったイヤホンを耳にさして、少し大きな声で言った。もうその卑猥なやつはどっかに捨てて、という指図でもあった。
「山岡、ギターを弾くらしいね」
「はい! 夏休みに親に買ってもらいました。土曜の部活の後には先輩たちとバンド練習してるっす」
「文化祭の発表会が楽しみ」
裕二が、ふつうに笑った。
「ギターを弾くなら、これを知らなきゃモグリだと思う」てきとうに言ってみた。
「何がですか」
「私が今聴いている曲」
「なんて曲?」
「教えない」
「聴かせて」
「いや」
私が今聴いている歌は、ピアノ曲ばかり入っている私のMDに母親がいたずら心で一曲だけ録音した有名なロックの曲だった。私はロックの曲はそれしか好きではない、というか知らなかった、私のプレイヤーはトラック数しか表示しないので、曲名もわからなかった。だいたいおんなじ毎日、という歌い出しで、それが曲名だと勝手に決めていた。私がやっていたことで、いまもしていることだった。この七百万年のあいだ、ピアノが柔道に変わって、柔道がベースギターに変わって、ベースギターが映画鑑賞に変わって、映画鑑賞がガーデニングに変わっても、それは、まあまあそれなりにつづいていた。その途上、人間についてどれだけたくさんの物理学を学んでも、それは、まあまあそれなりにつづく。目をつぶる。音量を上げて、激しいビートが耳に、そして胸へ射出されて、突き刺さる。いま、ずっと昔に買った千数百円のイヤホンから、音がじゃりじゃりと漏れていると思う。いま、目の前にいる痩せっぽちでちびの男の子がそれを拾い集めようとして、私の、ほんの少しだけ近くへ動こうとしていると思う。