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ここに @itaws_ が日記や小説を公開している。

 

2022年年末〜2023年3月までここに書いてきた日記などをまとめた著述集『ロビン』

同時期に書いていた短編小説をまとめた小説集『きらきら大切商店街』

を文学フリーマーケット東京36で頒布。

2023年5月〜2023年9月までここに書いてきた日記などをまとめた著述集

『励ましは自分の外部に期待せよ』

同時期に書いていた短編小説をまとめた小説集『ちっとも懐かしくない町』

を文学フリーマーケット東京37で頒布。

通販購入・商品説明はこちら (BASE)

*完売しました。小説集のみ機械書房さまに在庫あり(23年6月17日)

**機械書房さまの在庫完売しました。誠にありがとうございます。

現在四冊とも在庫有、通販を再開しました。

(23年11月18日)

 

雑誌掲載作品

トレイス(文學界新人賞・『文學界』2014年12月号)

 徘徊する祖父の跡を追う仕事を家族に任された浪人生の話

声がわり(『文學界』2015年6月号)

 合唱コンクールのために中学生の男の子2人が近所の音楽教室のちょっと不思議な先生に歌を習う。

すら(『文學界』2016年2月号)

 一人暮らしをしている「僕」のもとに姉と姪の「すら」が転がりこんできた。

大声の歴史(『文學界』2017年10月号)

たんぽぽのこく(『ケヤキブンガク』創刊号 2022年12月)

 『ケヤキブンガク』は現在Vol. 3まで刊行されている、文学、人文学を探究する文芸誌です。武蔵野、ことに吉祥寺周辺の書き手、あるいは文学研究を本業とする書き手が毎号集まっています。HP 

 

 

年に一回は原稿用紙百枚以上の中編作品をなんらかの媒体で発表したいと思っています。

 

 

掌編

「館の犬」(ODD ZINE. Vol. 9 [太田靖久主宰]) 

『きらきら大切商店街』に収録、また本ブログにも掲載。

ブレーメン」(CALL Magazine. Vol. 29 [紅坂紫主宰])

CALL MagazineのInstagramアカウントにて閲覧可能。

『ちっとも懐かしくない町』に収録。

 

各種アンソロジー、ZINE、WEBマガジン等、ぜひご召集ください。そしてその後、レモンサワーを痛飲します。

 

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TwitterのDMか hyperenough.p.p@gmail.com

にご連絡ください。

 

研究者としての略歴です: Reserchmap

 

それが何を意味するか考えたりする

 さいきんは基本的におだやかですが仕事でも私生活でもちょっとしたきっかけで揺れたりぶれたりしてしまうからあやうい。ベンジャミン・フランクリンもにっこりの勤勉の精神で暮らしていきたいと思っております。ここ数日でとても暖かくなってきて私もエアコンや冬物のアウターにおさらばとなってきたのだが、この前私は「でも夕方からは寒くなったりしますね」と言った、この「たり」というのは、ワードの自動的な校閲機能で青線を引かれ「たり」、ライターの文章講座で避けましょうと言われ「たり」するたぐいのものであって、反復の「たり」になっていない、だけどこの「たり」はおそらく日常の中で必要とされる「たり」であって要するになにかをぼやかしている。寒くなったり雨がふったりやっぱり気温はそのままだったり星が見えたり見えなかったり洗濯物たたんでいなかったり、するのかもしれないけどもすれ違ったあなたに言うことは、「夕方からは寒くなったりしますね」。何か隠したいことがあったりするわけではまったくなくてでも、ぼやかしたり曖昧なままでべつにいいことがたくさんあったりするから私はこの「たり」を大切しようかなと思ったりした。『ライ麦畑でつかまえて』にはこの類の間隙的な表現がホールデンの語りのなかにやまほど出てくる。『ライ麦』の批評のなかにはホールデンのそのような語りが「本当は何か大切なことを語れないでいる」と着目する分析がひとやまあったりするはずで、それが「何を意味するか」ということを解きあかせれば立派な論文になる。ホールデンに対してただ、「まあむかつくこともあったりするよな」と肩をたたくことは、ある意味ではとても文学的だしある意味ではぜんぜん文学的ではない。

 

 一年中なにかのリハビリ状態というか準備運動段階みたいな気持ちで生きているのだが、午前中も図書館でぼんやりとそれが何に結びつくのかもわからずに独立革命期のアメリカを論じた本を読んでいた。読中、文章中に"define what it would mean"という表現が多いことに気が付く。「それが何を意味するのか定める」という意味だ。私たちが、アメリカの独立が何を意味するのか定めるためにはアメリカが独立したその当時に、指導者たちがアメリカの独立が何を意味するのか定めることをいかに思案し実践したということをつかまなければいけない、ということだろう。指導者、だけではなく市井の人間もその主語に入れていいはずだが、独立期に活躍したFounding Fathersと括られる人物たちについての本だったのでそう書いてしまった。私は以前、what it means という歴史的な問題よりもhow it worksという理論的な問題に関心があった。define what it meansという態度は「答え」を求めているように感じるが、たとえばquest for how it worksという態度は、「答え」に重きをおくわけではなく、言葉や、言葉がつくる社会の仕組みや力のかかりかたを裏側からくすぐってときほぐしていくような営みに思え、それを価値のあるかっこいいことだとナイーブに思っていたのである。英語を日常的に読むようになるもっと以前、友人から「君はwhatよりもhowを重視する人間だろう」とわかったようなことを言われたことを覚えていて、しかし、より深く自分や自分と世界の関係性を思索するようになってからは、それはたしかに、と思うようになった。ちなみに歴史と理論が対立するとみなすことは、歴史的にも理論的にも、あまり生産的ではない(というか、おそらく「事実」ではない)考え方だということは、今日の人文科学では常識で、私もそれを言い聞かされてきた。

 ちょうど東京から引っ越して来て一年が経ち、この日々を振り返ってみようか、などと考えるけど、まさしくいまの自分が「新しい土地で暮らすことが何を意味するのか」を考えて定めるためには、一年前の自分が「新しい土地で暮らすことが何を意味するのか」をどのように定義していたのかを思い出す必要があって、歴史的な問いは(それが奥深くシンプルな形式であるゆえに)ときに自分の小さな生活の中でも作動することを感じた。つまり、これが理論化なのだろう。

 アメリカ建国の父たちは、たとえば、独立したあとにwhat it meansをその営為の中に定めるために憲法会議を、当時の連合議会の要請を無視して、つまりこっそりと始めた。「こっそりと」というのは私の修辞で、当時は「連合規約」というものがイギリスから独立した13州をぬるく束ねるものとしてこしらえられていたけれども、「それじゃだめだ」というわけで、当時の指導者の一部が当時のもっとも大きな議会の要請や予定を裏切るかたちで憲法の話し合いを始めたわけである。これがまずおもしろい。「連邦規約を修正する」という名目の会議が「合衆国憲法創設する」という名目にハイジャックされたわけである。去年のいまごろ、私もこれからの暮らしをどうしようか、通販サイトで売られている家具の値段や、カードの利用明細や、口座の預金残高とにらみ合いをしながらいろんな案を起草した。起草というのはおおげさだな。そのとき思い出すのは同じように東京のなかで新しい暮らしを、もちろん極貧状態で、立ち起こすことを余儀なくされたときにそばにいた友人のことだ。いっしょに不動産屋に行って新しい家を探してくれて(このとき不動産屋にものすごく呆れられたというか舐められたことが苦い、いまでは面白い思い出として二人の間で残っている)、新生活が始まってからは「君はこのようにたとえば暮らすといいよ」とよれよれの紙にボールペンで私の収支表の例を作ってくれた。かならずしもその家計簿のように私は暮らさなかった(暮らせなかった)が、その紙は宝物として大事に取っておいてある。それから、彼に部屋探しの相談をしているとき、「上京してからずっと二階以上の部屋に住んでいたから、一階はやだ」とつぶやいたら「わがまま言うな」と叱られたことも楽しい思い出だ。それで、彼が探してくれた部屋はけっきょく二階だった。トイレはあるが風呂はなく、花火大会など野外のイベントで立っている「仮設トイレ」のような直方体がキッチンの後ろ側にあり、そこがシャワー室になっていた。もとから風呂をためないたちなので問題なく、月に二度くらい近所の銭湯に行くのが快かった。この仮設トイレみたいなシャワー室は、他の友人たちの必笑の種だった、いまでも笑い草になっている。もちろん洗濯機もなく、近くのコインランドリーに毎週二百円を入れた。ここの丸椅子でジャック・ロンドン『パリ・ロンドン放浪記』などいろいろと本を読んだものだ。一階には大家さんが住んでいて、ここからまた引っ越すときに自転車を捨てていこうとしたら「自転車のライトをくれ」と言われた。大家さんが二階の賃貸管理のほかになんの仕事をしていたか当時はおぼえていたが、もう思い出せない。つまりは「自転車のライトをくれ」と言ってくるような仕事だった。鉄工業だったかな。さて、部屋を探してくれた彼ともっとも盛んに万事のことで議論を交わしたり、安い飲み屋で夜を明かしたのもこの時期だった。お金はなく、貯蓄することはできないがなんとか月々の生活を回すことはできて、給料日の前は、杉並に近いほうの三鷹市の一画から、バイト先の成城学園まで自転車で一時間以上かけて通勤した。私が井の頭公園をもっとも眺めていたのもそのころだった。

 昨年の三月下旬、ふりかえると金の無駄遣いだったなと思ったが、東京から金沢へ新しい住まいの内見に行った。写真のイメージ通りの部屋で、契約についていくつか説明を受けて不動産業者と解散したあとは、近所の町中華でチャーハンを食べて駅まで一時間以上かけて歩いて帰った。自分の家がある町、「山の上」から駅まで歩いたのはこれが最初で最後だった。そういうことは(そういうことを)しなければならないと思ったのだ。歩いているうちに、生活の空気がつかめた。とてもあたたかく晴れた日だった。私はここに越して以降、北陸の天気の不安定さを友人たちやSNSでしょっちゅう愚痴ることになるが、この日と、引っ越して来てからの数日間はとても穏やかな日で、それが土地との出会いとして運がよかったと思う。ようやく駅まで着いたらふかふかした気分になって、駅近くにあるスパ施設で温泉に入ったりマッサージチェアでビールを飲んだりした。ビールを飲みながら、先に書いてきた友人に「極楽」の旨をメールしたら、おそらく自分が新しい土地で楽しく暮らせる予感を読み取ってくれたのだろう、温かい返事がきた。

 そのあと引っ越す前日に彼と飲んだ。彼は餞別にイオンの商品券をくれた。前々から「引っ越したら映画が映画館で気軽に観られなくなる」と言っていたので、それを覚えておいてくれたのだろう。気軽に観られない、というのは経済的にというより映画館が自分の家から遠く離れたところにしかない、という意味だ。彼は金沢の大きな映画館のひとつは駅前のイオンシネマだと自分で調べて、たまに人里へとくだる機会があればその商品券で映画を観るようにと私にそれをくれたのである。私は地方に引っ越すにもかかわらず、車を持っていなければその目処もたたなかった。引っ越してから数週間経ってパソコンの画面越しに、「やっぱり家の周りしか出歩けないね、駅の方まではおっくうでなかなか、自転車くらい買おうと思っているんだけど」とぼやいたら彼が、映画ではなく自転車を買うでもなんでもいいから商品券を役立ててくれよなと言っていた。けっきょく商品券はまだ押入れのなかにしまってある。自転車も買っていない。だけど映画をこっちでもよく観るようになった、どこにどんな映画を上映する館があるかわかってきた。

 先日一週間ほど東京にいたのだが、そのときに彼に彼女を紹介した。開口一番、「おくやまくんはやさしくないんですよ」と彼が言って、私は笑った、またおどろいた。過去の日記(いまはブログから消していて、赤い日記本の夏の記述にある)に私の書いたエピソードの通り、彼がそのエピソードを語るので、私はうれしく、また面白かった。夏に「合宿」をしたさい、みなで一緒に泊まっていた宿泊施設まで戻る途中、彼が「鍵どこだっけ?誰がもってるっけ?」などと訊いたら私が「しらない!」と言った件である。その前の夜、酔っ払った私が「自分はやさしくなったと思う!」と豪語していたものだから(いま思うとどんな話の文脈だったんだろうねそれは、それじたいが笑いの種だ)、彼はそのとき苦笑し、おいちょっと待てと思ったことだろう。

 そんな感じで何も考えずにただ気の向くままにキーボードを叩いていったらむかし話みたいな日記になってしまったのだが、今の私は自分の暮らしをとくに理論化する段階には至っていなかったのだろう。いい機会だから自分の暮らしの中に必ず出てくるけどとくに語ってはいなかった人物のwhat it meansとhow it worksを書きながら感じたかったーーそれは定めたかった、という心の態度よりも「やさしい」ものが宿るように思うーーのかもしれない。3月もおしまい。さてさて、さいきんの私の日記にたまに出てくるりさこさんが文学賞をいただいた。ほんとうにおめでとう。私はそれをちょうど十年前の十回前にいただいていて、おめでとうの気持ちと(そんなに経ってしまったのか......)というがくぜんもある。私は文芸時評をまとめた本のなかでは荒川洋治の『文芸時評という感想』がとても好きなのだが、この前、集中力が切れたときのつなぎつぶしに(この、つなぎつぶし、という言葉はよいでしょう)ぱらぱらとそれを読んでいて、とある作品を評しているなかでの次の一節が目に入ってきたとき、私はその人のことがふと思い浮かんだ。

小説家は自分の文章を客観的につかむことはできない。だがあちらこちらの文芸誌から仕事がくる、書くことを仕事としてやっていけるということで、かろうじて自分の文章を信じることになる。文章が次々に掲載されるようになると、文章がどのようなものであるかなどどうでもよくなる。文章を求められている。「現在」をもっている。それでいいのだ。多様性どころか文章を書く人の気持ちというものは単純なものである。

一般的にはこれは、もの書く人が賞をとってデビューしてからの次第である。とはいえ時代も変わり、人は必ずしも文学賞を取らなくても自分の書いたものがさまざまな人に読まれ、愛され、商業的ではなくとも人に求められ、「現在」をもつことができるようになった。そう言ってしまうとどうしても甘い話のように聞こえるから、「現在」をもとうとすることができるようになった、と言うほうが適切だろうか。そういう意味での新しい書き手が、このたび新しく舞台を広げたとこの一件を捉えることができる。これも以前日記に書いたことだが、私は若いころに(今も若いか)「おめでとう。おれもがんばるよ」と言われたことがもいちばんうれしかった、だから、同じ言葉を渡したい。けれどもあなたは、選んだ道や、選ばされた道によってはどうがんばればいいかわからずにとぼとぼと道を歩くしかないときもある。そんなときは、自分の信頼する人たちが、そのそれぞれに従事している「仕事」をこちらへ示してくれることによって自分の気持ちに変化をもたらすのだろう。今回の日記は、私にとってのそんな人たちについてふれた一節になっただろうか。自分の歌う歌がいつでも、自分の内側に大事にしまってあるとは思っていけない。

 

 

何か正しく言えた方が(池谷和浩『フルトラッキング・プリンセサイザ』)

 私が賞をとってまもないころに、「これからは趣味で小説を書いていくんですか」と言われて私は腹が立った。むしろ賞をとったのならば一般的に言って創作が仕事になる可能性が大きくふくらむのだから、このせりふは文脈を説明しないとあべこべな言葉になってしまう、しかし私はその文脈を語ることはべつの文章の話題にとっておこうと思う。

 私は、「私は傷ついた」とは書かない、「傷」はその痛みや、痕や、傷をおおう瘡蓋が自分の世界の今にも影響を及ぼすものであって、言葉の正しさに基づいて言えば、あのときの自分の気持ちは「傷」ではないと判断してもいいと思えた。言葉に対して正しくありたいが、べつに、言葉に正しくあってもいいことが起きるわけではない。言葉は仕事や宗教のように「報われ」の果実をその幹に付けてはいないようである。

 

 ことばと新人賞を受賞した池谷和浩『フルトラッキング・プリンセサイザ』の中心人物である「うつヰ」は、仕事のために何かの会場に行って「部長」の黒いティーシャツを眺めている。部長が汗ばんでティーシャツの黒色が「また別の黒」に変わっていってうつヰは次のようなことを考えているそうだ。

 

色が変わったといっても黒がまた別の黒になったのであって、それを何と呼ぶことが出来るのかうつヰには分からなかった。実際の順番では色が変わっているから汗で濡れているのだろうと推察したのだから、色のことは色のことで何か正しく言えた方がいい。方がいい、というのは何だろう。(283)

 

 『フルトラッキング・プリンセサイザ』は全体を要約して言えば、この「方がいい、というのは何だろう」という感覚が持続している小説である。なんらかのIT関連の仕事をしているらしい「うつヰ」は「プリンセサイザ」という何かを(通じて)どうやらオンライン・ゲーム?のごとき仮想世界に行くことを習慣としている、私もこの記事を書きながらふと気が付いたが、作中では「プリンセサイザ」のことをうつヰにとっての「趣味」であるとは書いてなかったのではないだろうか。うつヰの日常、そしてプリンセサイザ。ストーリーらしいストーリーは少なくとも、書き手ではなく読み手にとっては乏しいのではないだろうかと思う。「もう少しこんなふうに盛り上がる方がいい」との指摘は選考会では出なかった。それは本作が丹念に読まれ評価された証明でもあるだろうし、この小説は「方がいい、というのは何だろう」という疑問を疑問のまま、あるいは疑問符も付けないままに作品の基底にしているからかもしれない。

 初読時はふと、「身体性」が主題となりうるだろうかと思った。ちなみに主題とは書き手ではなく読み手が見つけるものである。冒頭、うつヰはさまざまなオブジェクトを触る、考えの中で、より正確に言えば語りの中で。選考会でも指摘されている通り、うつヰ=うつヰの語りには、さまざまなこだわりや細部への日常的な注意や開いては閉じる考え事がひっきりなしに展開される。うつヰは「バスタオル」のことを考え始めて、それから、「アイフォン」や「靴」や鍵やドアノブや、「シャワー」を頭のなかで触っていく、そして、「そこまで考えたところで鉄の錆びた手すりを右手で掴んだ。あまりに熱いので驚いた。」(282) ぐるぐるした考えごとに支配された肉体に襲来してくる現実の感覚、という記述が小説の導入である。わりと伝統的で保守的だ。バーチャルリアリティを素材とした創作物の多くは、(バーチャルリアリティが「ぐるぐる」の延長であるとすれば)この「肉体に襲来してくる現実の感覚」が作品の核心を担っている印象がある(新しい技術は常に古い主題を求める)。とはいえ『フルトラッキング・プリンセサイザ』の関心はとくにそちらに向いているわけではない。そちらのほうが、なんだか、正しいように思うのだが、小説はそれを必要とはしていない。VRのことはVRのことで何か正しく言えた方がいい、方がいい、というのは何だろう、こういうことである。私たちはいつでも何か正しく言えた方がよく、そのためにさまざまな仕事が活躍し、求められる。「だが、小説家が担っている仕事とは『方がいい、というのは何だろう』ということを思考し、形にすることだ。」そのような、いかにもなことを、私は思わない。それは、小説を書いたり論じたりする自分を特別に思っていて、小説を書いたり論じたりすることが世界で一番偉いと思っているような人の言うことだ。そのような人は、さまざまな仕事、これは抽象的な「仕事」の意味で言っているが、ともあれ人々が仕事の中でいつも正しさと絡み合って組み合っていることが想像できていない。正直、私はプリンセサイザにおける「王女パート」が相対的には面白くてずっと読んでいたくて、一方、うつヰのぐるぐるした日常は目がすべるときもあった、しかし、たとえば、「有給」と「有休」も、「領収書」への異様な注目も、きっと作品の完成には欠かせないものなのだろうと、好意的に捉えたい気持ちもある。その理由は、うつヰが小説家ではないからで、さらには、少なくともこの小説が草稿であった段階では、池谷が狭義の意味では小説家ではなかったからである。

 あらすじをもう一度書こう。「なんらかのIT関連の仕事をしているらしい「うつヰ」は「プリンセサイザ」という何かを(通じて)どうやらオンライン・ゲーム?のごとき仮想世界に行くことを習慣としている。」 私の一文には「なんらか」「何か」「どうやら」「?」という語が含まれていて、作品の細部をぼやかしていることがわかる。多くは私の怠惰によるものだが、どうやら作者によっても意図的な説明不足が仕組まれているらしいという選考会の指摘は挙げておきたい。プリンセサイザの詳細、人物たちの性、仕事、人間関係、過去、等々。小説のことは小説のことで何か正しく言えた方がいい。方がいい、というのは何だろう。私の見るところ選考会で語られていたことはそういうことだ。滝口悠生が後半の王女たちが歌う場面(次に論じる)を良いと言っていて、私もそのパラグラフに対しておおいに賛成したのだが、うつヰにとってプリンセサイザが、滝口が言うように、「大切」で「切実」で「大事」なのかどうかは実は作中には一言も書いていない。これはとても面白いことだと思う。私は、うつヰにとってプリンセサイザは代替可能なものであるという説を言いたいわけではない。小説をめぐる会話がなされていると思ったのだ。滝口は「小説のことは小説のことで何か正しく言えた方がいい」と考えたのだろう、そこにある種の「仕事」が込められている。

 

 さまざまな「王女」が出てくるパートが面白い、ということは先に述べたが、そこに着目して読むにあたってひとつ気づいたのは、うつヰがプリンセサイザを使用すると、その場面でしか使われないさまざまな言葉があって、それらの言葉に会えるのがうれしく、好きだからなのかもしれない。たとえば、「おしゃべり」という言葉は、うつヰが、そして池谷にとっても、きわめて大切にしている単語なのではないか。うつヰがプリンセサイザで楽しむ体験を、私たちは言葉で経験するということである。その言葉の中でも際立つのが「集まる」という言葉である。プリンセサイザの中で(を通じて)王女たちが、集まっている。集まるということは、代名詞が複数になるということである。仔細に検討していないが、もしかすると「人々」や「皆」という言葉が出てくるのはプリンセサイザ使用時だけではないか。

 282ページから始まる本作においてうつヰが最初にプリンセサイザを使用するのは286ページ下段で、イベント会場に仕事として「集合」するところから話は始まるのだが、それとは少し種類が異なる「集合」がプリンセサイザに先立ってこのように書かれている。仕事から帰る場面。

 

 上がると広場になっていて、円になって踊っている人たちがいた。その先にある劇場の屋根の下を抜けていくと少し涼しいので、そうした。(286)

 

 (それを悪いとは思わないが)この小説には語順や助詞の使い方や句読点、その他の要素に規定された文のリズムにやや特徴的なところがあり、上に引いた箇所も少しだけその傾向を帯びているかなと思う。というのは、「そうした」の内容は「屋根の下を抜けていく」ことだが、うつヰが「そうした」のは「円になって踊っている」ことのようにも誤読できるように思ったからである。だとすると、この点景は書き手がただ書きたくて書いただけなのではなく、次に挙げるようなプリンセサイザにおける寄り合いの予兆のような効果を帯びてくる。

 

人々一緒だった。降りて人々と月明かりの下を歩き、区画を三つぶん進んだ。廟のようになっている、青白くほのかに光る墓石の周りにその日は人々が集まっておしゃべりをしていた。(286)

 

各駅の王女たちで集まると、そこに整列し、歌うことがあるのだよと武蔵野台の王女はやさしく教えてくれた。(292)

 

みんなくつろいで、王女を囲んで思い思いのおしゃべりをしていた。(292)

 

人々がたくさん来ますか。ええ、人々で満ちて、境までいつも賑やかになるんだよ。(295)

 

うつヰは手を振って輪に近づき、少しのあいだ見学していた。(298)

 

プリンセサイザでクラスターに入った。ワールドは国領駅、広場で王女に奉納するアバターモデリングを競い合う大会に参加した。(303)

 

皆のアバターが出来上がると国領駅の王女が現れて、ひとつずつためすがめつして、最後にうつヰの作ったものの前に戻ってきた。(303)

 

もうすぐ、殿下と呼ばれるようになるはずだ。王女だから殿下。その日には、各駅の王女が集まって、歌を歌うことになっている。(311)

 

蘆花公園の王女が現れたと分かると一斉に湧いて、お茶会が始まった。(321)

 

レビュアーを開いてデモを見せると、周りに王女たちと人々が集まってきた。(321)

 

王女の呼びかけでバスが一斉に集まってきた。その一台に皆で乗り込んで、上北沢とうつヰの封地の境に来ると、また降りてゲートをくぐった。(326)

 

もしも作品を読んでいない人がこの記事を読んでいたとしても、以上に引いてきた箇所を眺めれば、プリンセサイザ(princess+-ize+er = princesizer [王女にさせるもの])によって、王女たちがわいわいわちゃわちゃしていることが把握できるだろう。そして、次に引用するのが作品のひとつのささやかなクライマックスであり、私が作中でもっともよいと思えた一節である。

 

歌いましょう、とうつヰは呼びかけた。膝から力が抜けてしまっていて、腹に力が入らなくて、大きな声が出ないような気がした。それでも一声出してみると、構内に響いていくのが感じられた。いつの間にか隣の王女と手をつないでいた。王女たちは次々に手をつないだ。うつヰの駅の隣から高尾山の方へ下っていく順に、上北沢、八峰山、蘆花公園、千歳烏山、仙川、つつじヶ丘、柴崎、国領、布田、調布、西調布、飛田給、武蔵野台、多摩霊園、とつないでいって、この日のために練習しておいた王の路線の歌をうたった。(326)

 

 オンラインゲームという性質上、その空間の中で、ある種の集団性や行事感というのが生じてくるというのは言ってみれば当たり前のことだが、それを作中で強調しないからこそ読み手の目に残ってくることがある。うつヰは現実世界では友達がいなかったりストレスフルな日常を過ごしているけど、仮想現実ではそうではない、というような、読み手の心を惹くような構成や設定はすべて、はなから作品の中で採用されておらず、かといって現実と仮想現実がシームレスにつながって流れていく新感覚小説だ、というような分かりやすいセールスポイントを湛えているわけでもない。ただ王女たちがなにやら集まっている。そこに「固有のものを読んだ」という読感が残るのだと思う。現実よりVRの方がいい、またはその逆、そういう話は商品にはなるだろうが作品にはならない。方がいい、とは何だろう、そこまでを含めて作品になる。うつヰはべつにそれを深い苦悩や解けない疑問とは思っていなくて、だからうつヰを読む私たちにとっても苦悩や疑問ではない。しかし暮らしの中に「それ」は残る。言ってみればこれはVRの小説ではなく生活の小説だ、選考委員のひとりが本作をリアリズムと言ったことを思い出してみれば、リアリズムとは生活のことである。記事の冒頭で引用した文を変型させて言ってみよう。「生活のことは生活のことで何か正しく言えた方がいい。方がいい、というのは何だろう。」この一文は、仕事や、「集まり」や、肉欲(がときおり作中に書き込まれる点がチャーミングである)の中で生きている人々が大切に持っている<文型>、表現を替えれば、エンジンやデバイスのようなもの、のことである。『フルトラッキング・プリンセサイザ』におけるうつヰのトランクやバックパックの中にひそかに入っているものでもある。

 

 

大合唱

 なんでおれはこんなによく晴れた土曜日に向井秀徳みたいな渋い顔のがきを隣に乗せてドライブしているんだろう。こいつはつむらという名前らしく姪の同級生だ。かわいい姪の頼みならおれは、姪の同級生という以外になにも縁のない中学生男子のこころを開くために一肌脱がなければいけないのか。こころを開くってなに? こいつが開かなきゃいけないのは横隔膜、喉、そして口、学校では合唱コンクールが控えているんだけどつむらがちっとも歌わないからクラスメイトがみんな迷惑しているそうだ、音痴なやつがいるのも迷惑だけど、ほかの子たちががんばって歌っているときに口をぎゅっと結んだやつがいたら悪目立ちするだろう、いくら耳に届く合唱の響きがよくても目で見た印象もふくめて評価されるのだろうからこいつがいたら銅賞もとれないだろう、おれだって合唱コンクールの思い出くらいある、やる気のある女の子がクラス全員で歌わなきゃ歌が完成しないんだ、とか息巻いているんだろうなあ、そうなんだろ、とか信号で停まっているときにつむらへ話しかけてみるけど無愛想なやつで少しも反応しない。おれは姪からつむらの御守りを任されたときに幼稚園の二学期が始まった日を思い出していた、なんだかどうしようもなく幼稚園に行きたくなくてぐずついていたらじいちゃんが車に乗せてデパートに連れていってくれていつも誕生日かクリスマスのときにしか買ってもらえないような大きなおもちゃをくれて、そのあと大きな公園や市民プールにも連れ回してもらって、次の日おれはふつう幼稚園に行ったんだった。なんでおれが幼稚園に行こうと思ったのかよくわからないけど、こいつもドライブしたら次の日からよくわからないけど真面目に歌の練習をするのかもしれない。たしかにおれは若いころにバンドを組んでいてボーカルをしていたけど合唱コンクールの練習で口を開かない少年に教えられることなんかなにもないよ、あてもなく街をぐるぐるすることにも退屈してカラオケに連れていってメロンソーダを飲ませたあとに、つむらがおもむろにマイクを握って流行りの歌を、声変わりするかしないかの古い木琴みたいな美しい声で歌った、こういうところでなら歌えるんじゃないか、しかしその帰りに事故っておれは死んだ。街をぐるぐるするのが悪いのだろうな、とまたハンドルを握っていたおれは山奥に車を走らせて山峡に流れる細い川がにわかにふくらみ深くなる、そのまわりにいろんな花が小さい風にゆれている場所につむらを連れていった、きっと大事なことは静かな思い、おれはここが自分にとってとくべつな場所であることを語った、塾のテストの成績が悪くクラスが下がる通知が届いて、だいすきな母さんは再婚相手の婚約者を実家に連れてくるしギターの弦はいつまでも上手に張れねえ、そんなゆうべにおれは山に駆け込んであてもなく川つたいに歩いていたらここに辿り着いてやわらかい風がほほをなでたのだ、川の流れをながめているうちにおれのもやもやなんかちっぽけだなって思ったわけよ、上を見上げると峰の向こうにでっかい夕日が隠れようとしていてさ、おれ、家に帰らなきゃって思った、そしたら、かがんで水辺に向井秀徳みたいな面を浮かばせていたつむらがきれいな水で手を洗ってその指先で、自分のふくらんでいない首の真ん中をさわった、聞いた覚えのあるような童謡をまるで川の向こう側から聞こえてくるような声で歌った、おれは沁みたね、しかしその帰りに事故っておれは死んだ。どこかに車を停めてしまうから悪いんだな、とおれはパワーウィンドを下げてぬるい風を浴びながら思う、ついでに思ったことは自分としてはけっこうなひらめきだった、そうか、お前は合唱をしているときに他人の声を聞いているんだな、合唱ってきっと男子の列と女子の列で別れて歌うもんだろ、お前は野郎に囲まれているから好きなあの子の歌声をたくさんの束ねられてかさの増した合唱から聞き取ることがむずかしい、自分の口を開かずに耳をすませて壁みたいに迫ってくる声のなかから好きなあの子の歌声を聞き取るんだ、てめえが歌っていたら自分の声だけが頭の中でひびいて埒が明かねえ、お前の好きな子はきっとお前と同じように人前で歌うのが苦手で、しかしクラスの同調圧力でクラス一丸となってすばらしい合唱をつくりあげるためにいやいや声を出しているのだ、だからあの子の声は死にかけのすずむしのようにかぼそい、あの子は自分の声を他人に聞かれるのがはずかしく何より嫌なのだ、お前はそれを分かってあの子の声を聞き取ろうとする、こんなに堂々とあの子のかぼそくも伸びやかな声を耳のなかで愉しめる機会はほかにないからだ、これは密かな悦びだ、ふと気がついたときにその罪悪感がお前の胸に去来する、その冷たく固まった悲しみはお前の口腔をさらにこわばらせるのだろう、するとあの子の歌声を懸命に聞き取ろうとしていたお前の耳殻はクラス全体の合唱をもろに受け止めてしまう、大合唱を、お前にはもはやあの子の声を聞き取ることはできない、そしてお前は、などと話していると気がつけばつむらは、白く透明で粘り気があるような涙をつつりと流していた、ああおれも泣きそうだ、そしてつむらは強くやさしく、出来上がったばかりの硬い肩や腕で誰かを不器用に抱きしめるようなたくましい歌声を射出した、ああこの曲おれが中学生のころも課題曲だったな、そのあとおれは事故って死んだ。たぶんちょっとひねりすぎたのだと思っておれはシフトレバーをひねった、視点を変えてみるのはどうだろうか、きっとお前は指揮者の子が好きなんじゃないだろうか、指揮者は歌っているクラスメイト全員の様子をたしかめながら合唱のぜんたいをコントロールする、しかしお前は指揮者に向かって自分の肩の揺れや唇の開閉を晒したくはない、それはお前にとってきっと肉球と爪のはっきりと分離していないまま他人に慣れてしまった家禽と同じ形になっている下半身やまだ若く幼い薄い肌色の鎖骨のういたうすみどりの上半身を晒すほどに羞恥がともなうのだろう、指揮者は自分だけ見ているわけではないということはお前はよおくわかっている、しかし唇の開閉によってお前のこれまで枕の裏側に隠してきたようなどんな化学にもいまだ洗われていない汚い、そして心地よく吐き気をもよおす透明なペースト状のごまかしが指揮者に伝わってしまいそうでこわいのだ、それはおれも同じさ、じつはおれもそうだったんだ、おれの脇の下をさわってほしい、ここに折り畳まれた熱と液体にお前とおれの歴史が、激しく突き上げる血のかたちが痛めつけ、痛めつけられてきたような呻きが大合唱になっておれとお前が憎み続けてきた、とぼけた顔の兵士たちの白く広い、懐かしい愛のように産毛のはえた太腿を世界中のどんな母親でも元にもどせないほどにびしゃびしゃに濡らすだろう、おれは少年のまるい眼鏡を誰からも見捨てられ嫌われてしまった老人のふけのような匂いにまみれたその顔面から外し丁寧にフレームからレンズまでをやわらかい布で拭きそれをダッシュボードに置いて両手はこのときハンドルから離れていたのにアクセルは踏みっぱなしだったものだからおれは叙事詩のようになった少年の青い顔をうっとりと見つめながらおれが誰よりも幼かったころにじいさんに連れていってもらったデパートに車を激突させて死んだ。

 

四十のメソポタミア

 さいきんいろいろと勉強することが楽しい。まあ、勉強することも仕事の一部のようなものだから、楽しくなくてもしなくてはいけません。

 『キリスト教でたどるアメリカ史』(森本あんり)という本を再読していたのだが面白い一節があった。アメリカという国の歴史のなかでキリスト教への信仰意識は繰り返し高まったり下火になってきたわけで、信仰の再びの高まりを英語ではリバイバルと言う。リバイバル上映といった使われ方しか日本では見られないが、revivalとはほんらい宗教的な言葉である。そして全国的な信仰復興現象を大覚醒と呼ぶ。最初の大覚醒は18世紀の初めに起こった。アメリカはもともとピューリタンたちが移り住んできたことが事の始まりであると歴史の授業で習うと思うが、最初は強い宗教意識に貫かれた集団も世代交代が進めばそれが衰えてくる。時と場を隔てた位置にいる自分にとって理解する甲斐があるなあと思うことは、単に時代が変わって物質的に豊かになってみんな神様を信じなくなっちゃった、というわけ、だけでもないという事情だ。当時のピューリタン社会の人間にとってその社会の「内側」にいるということは教会員であることを意味した。教会員になるためには回心体験の告白をしなければならない。回心は英語でconversionと言って、これは自分の心の態度を「ぐるっと」変えることなのだと大学院の授業で強調して教わったことをよく覚えている。聖書において、「ぐるっと」心の向きを変えた代表的なキャラクターはパウロである。語源的に言っても、この単語の動詞形であるconvertはcon[完全に]+vert[向きを変える]という成り立ちだから筋が通っている。私自身もひとにこの言葉を教えたときに「耳で聞いているとかいしんとは改心のことかと思われました」という反応をもらい、たしかに無理もない、と思った。非キリスト者にとってはなじみのない言葉であろう。ちなみに「革命」revolutionにはrevolverが入っているのだから、革命という行為にも「ぐるっと」という力動が含意されていることがわかる。これも他の先生から教わったことだ。revolveはre[反対に]+volve[転がる]という成り立ちである。さいきんアジアンカンフージェネレーションの「ワールドアパート」をよくspotifyで聴いているが、この歌のサビ前に「心の中に革命を」と歌われる。革命という語を通じて語られている何かを考察するときには何がどんな向きに転じた・転じるのかを押さえなければいけないようである。

 話を元に戻すと、ピューリタン社会で社会構成員になるためには公の場で回心告白をしなければいけないということだった。他人に向かって声を出すこと、ひとつの「自己説明」が共同体参入の条件になっていたという歴史的事実は私にとってとても興味深い。正直「興味深い」と書いて済ませられないほどである。私たちの世俗的な生活社会においても声を出すこと=自己説明は半ば必須・自然の営みとして捉えられているが、たとえば学校でみなに向かって「自己紹介」をするのはその学校という集団に組み込まれた「事後」である。ただ日本語の面白さを想うならば、私たちがふだん「告白」という言葉を用いる(その言葉が指す事柄を想像する)とき、それは愛の告白であることが多いだろうが、愛の告白はふつう恋人になる「事前」に行われるものである。つまり「告白」の事前性という点が興味深い。もしくは言語行為論*1 的な観点で言えば「告白」はまさに行為遂行的な発話の類型であり、発話自体にその事前事後の変化をもたらすことは根本から言って必然なのか。学校で先生が自己紹介ではなく「自己告白」をしましょう、と言ったら(現実的にはそんなこと誰もしたくないだろうが思考実験するとして)、みんなが愛の告白や罪の告白をし始めて、そのクラスの関係性は以前のものには戻らないだろうから、やはり告白には根本的な事前性がある。ともあれ、私たちは地球のどこに引っ越してもおそらく、市民権を得るために何かを告白する必要性は迫られないようになった。そのような時代に生きている。しかしまあ、回心告白は会社の面接や何かのオーディションのように捉えればいいだろうか。ちなみに上に書いたように「アメリカはもともとピューリタンたちが移り住んできた」ことに偽りはないが初期の植民はそうしたピューリタンたちによるものも含めてすべて株式会社によるものである。アメリカってもともと会社の事業に過ぎないわけよ。王様が会社にいろいろお任せしたから初期植民地は自由に発展したという面もあるわけね。

 

*1 人は言葉で何かを説明しているだけではなく言葉で事を為しているのだということを検討する理論。たとえば「名付け」や「約束」に関する発話は言葉で事を為していると言える。また、「これは赤色である」という一見事実説明的な発話も「(私は)これは赤色である(と判断する)」と捉えれば行為遂行的な発話になる。つまり「私は悪いことをしました」という告白もまた「私は悪いことをしました(と認めます)」と捉えれば、この「認める」という発話が非常に行為遂行的である。少なくとも発話した主体の内面に対しては。

 

 さて、その回心告白は世代がくだるほど有効ではなくなっていく。子の世代になるほど、「さまざまな留保付きの」教会員として社会に組み入れられたり、「以前よりもゆるい条件で」教会員としてみとめられたりということが当たり前になった。じゃあそもそも教会を中心とする社会やめない?という認識にはまだ完全には至らない。社会のなかに依然として「回心告白を経て教会員になった者が完全な社会構成員だ」という考えは親から子まで根深く、当時の人々は内面が「ぐるっと」するような激しい宗教体験をむしろ希求していたわけである。そういった世相を背景として最初の「大覚醒」が起きる。

 大覚醒の指導者となったのはジョナサン・エドワーズとジョージ・ホイットフィールドという人物だった(森本はエドワーズの専門家である)。『キリスト教でたどるアメリカ史』では後者について述べられている一節が面白かったので以下に引きたい。

 

若い頃俳優を志したこともある彼は、身振り手振りを交え、平易な言葉で雄弁に語りかけ、多くの聴衆を魅了した。ホイットフィールドは、同じ言葉を四〇回まで繰り返し、しかもその一回ごとに感動が高まるように語ることができた。ある日の観察によれば、彼は「メソポタミア」という一言の語調をほんの少し変えて繰り返すだけで、それ以外に何も話すことなく、全聴衆を涙と悲嘆にうち震わせたという。(p.59-60)

 

ほんとかよ!とつっこみたくなる。弁論や説教というよりも音楽や演劇に造詣が深い方ならばうなずけるものを感じるのかもしれないと思った。ちなみにキリスト教や聖書には甚だ浅学で、なぜに「メソポタミア」なのかは数分間ネットで調べた限りではピンとこなかった。この日記を読んだ方は退勤時や炊事中、入浴時や就寝前に語調の異なる「メソポタミア」を何個言えるか試してみてください。

 

メソポタミア

メソポタミア

メソポタミア

メソポタミア......

 

 去年の秋ごろ、唐突に「仮にも作家なら物を書く以外に一芸ぐらいできなきゃいけないんだ!」と、「そんなこと誰も思ってないよ」具合も甚だしいことを思い立ち、芸達者への道を志してミニドラの真似や「プライバシー保護のため音声をかえてあります」のやつなど十代のころにやっていたしょうもない一芸以前のものを暇すぎて練習していたことをふと思い出した。ミニドラ喜怒哀楽っていう持ちネタがあって、メソポタミア喜怒哀楽っていうかね......。ん~、死ぬほどどうでもいい。

 

またある時は、ドイツから移住してきたばかりで英語をまったく理解できない婦人が、彼の説教を聞いて感極まり、「人生でこれほど啓発されたことはない」と叫んだと伝えられている。こうした逸話は、リバイバリズムが当時植民地に流入してきた大量の移民を背景として興隆したことを示唆している。聞き慣れた聖書のメッセージは、新世界へと移住してきたばかりの大衆の不安な心に強い共感をもって響いたことであろう。

 

 先の引用につづく一節だが、ここまで目を動かしているころには読中それほど(ほんとかよ)とは思わなくなる。要するにホイットフィールドの説教がもはや音楽だったのだろう。ちなみにアメリカ文学の代表作である『緋文字』に登場する主要人物の牧師もその説教が音楽的であると強調されている。アメリカ(18世紀の前半なので正確には「アメリカ」という集合的な自意識は無い)はかつて、相手に通じる言葉を用いて主体的にはっきりと信仰告白をすることでようやくその共同体に参加できる社会だったが、「大覚醒」期にはかならずしも相手に通じるわけではない言葉(つまり音楽)を届けることでほんらい自分たちと異なる存在を内へ包み込んでいく社会になっていったようだ。また、引用にあるように言語は異なっても「聖書のメッセージ」は共通であるから、英語に不慣れであっても(きっとこういうことを言っているのだ!)という思いはむしろ感動を倍加させるのではないかと予想する。たとえば、海外の映画や音楽を愉しむさい、(きっとこういうことを言っているのだ!)という予感や想像はときにある種の感興を引き起こすものではないだろうか?

 

 移住、移民という言葉が出てきたがこの前『ナイトオンザプラネット』を彼女と観てきて、5つある話のなかでもニューヨークとパリの話はタクシードライバーが移民である。この映画は21年のレトロスペクティブで初めて観たので三年ぶり二度目の鑑賞だった。なんだか1つ目のロサンジェルスの話に出てくるかっこよくてかわいいウィノナ・ライダーが映画のイメージにおいて先行しすぎているような気がするが、私が好きな話はヘルムートとヨーヨーとアンジェラが出てくるニューヨークの話と酔っ払いトリオを乗客とするヘルシンキの話だ。

 ニューヨークの話ではヘルムートとヨーヨーの会話がすべて良く、英語をぜんぶ覚えたいくらいである。特に別れ際の次のセリフが好きだ。

 

All right. You're gonna make the opposite of every direction we made to get here.

So if - if we made a right, then this time you're gonna make a left.

And if we made a left, you're gonna make a right.

そう。ここまで来た道を反対に行けばいい。右に曲がったところを今度は左に曲がるんだ。右に曲がったところは左へ。

[中略]

Helmet, look. You go down there, you make a right, then-

When you get to that wide street -

いいかヘルメット。まっすぐ行くだろ、そして右に曲がる、あの広い道に出るから...

  you know, that - that - that big one?

  あの広い道?

- Yeah. You're just gonna stop and ask somebody.

そう、そして...、車を止めてあとは誰かに訊け。

 

映像で見ると、最後のセリフのところで「まあいいや」って感じになっているヨーヨーの様子がなんとも愛らしい。そして何より You're gonna make the opposite of every direction we made to get here. とは、さまざまな場合に通用するとても良い励ましの言葉のように思っている。

 このあとヘルムートは相変わらずのガタガタした運転でヨーヨーの視界から遠ざかってしまうのだが、そのあとの数分間(数十秒間だろうか?)がこの映画の中でもっとも素晴らしい瞬間のひとつだと思われる。

 ヘルシンキの話では、「アキ」という不運が立て続けに起こったらしい泥酔状態の男を含めた三人組を「ミカ」というおっちゃんがタクシーに乗せる。アキの友人二人ももちろん酔っぱらっており、タクシーのなかでくだらない小競り合いが絶えない。ミカは自分の子どもに関する悲壮な話を語るのだが、その友人二人はすっかりミカの話に聞き入って大人しくなり、ミカに同情し始める。あんなにうるさく暴れていたのに、オーバーなくらいにしんみりとしてしまったこのときの男たちの「とっつぁん....、オレよぉ...、わかるぜぇ.....(泣)」みたいな身振りが私はあまりにも好きで、めちゃくちゃ笑ってしまう。しんみりしたまま彼らの住宅地にタクシーは到着し、友人二人はミカを励まし、帰宅する。友人たちがタクシーから消え、ずっと昏倒していたアキがやっと起き上がる。アキは早朝の寒々とした路地に降ろされ、そのあとの数分間もまた、この映画の中でもっとも素晴らしい、私が好きである瞬間である。

 

 映画館からの帰り道で、Night on Earthという原題にはearthに冠詞が付いていないということが話題になった。on earthで「世界中の」という意味なのだろうがearthに冠詞がついていない理由を説明しているわけではなくて、英語を(狭い意味での)専門にしている人はこういうことを理屈で説明できるんだろうなあと思い尊敬の念を抱く。二月ももうおしまい。感動的なメソポタミアを40回言えなくてもいいから、自分が感じ考えたことを良い声で発話するために日々を勤しんでいきたいと思っております。

 

 

スーパーまかせて発券パラダイスギャラクシー

 

 昼食のときに同僚とエスカレーターの話をした。それは人生のたとえだ。揶揄のように使われることもあるが、エスカレーターに乗っているように見えても実は険しい傾斜を歩いて登っていたのかもしれない。私はエスカレーター的な人生だっただろうか。それとも雪の積もった道を自分ひとりでずんずんと踏み拓いてきただろうか。踏み拓くという日本語はあるのだろうか。もしいま私がぐうぜんに発明したのなら、儲けたと思える。雪が降り積もった道で他のひとも歩けるようにするには、ただ前に進むだけではいけない、それは素人であり、垂直に長靴を叩きつけながら道を作らなければいけない。踏み拓くとはそのように他人の存在をふくんでいる言葉だ。拓く、というhorizontalな言葉に、踏む、というverticalな動きが内在している。私はあのおじさんが喫煙所の小屋の前で雪を踏みつけながら道を拓いていた先週の豪雪の翌朝を忘れることはできない。

 ところで山形の年末年始はまったく雪がなくてこれはとてもめずらしいことだった。元日、私の地元は海から離れているからぐらっとした揺れを被る程度だった。初詣から歩いて帰っている途中で私は商店街の開けた道路にいたが、街路の警報とスマホの警報で静かな街が一気に音に満ちてたいへん驚かされた。海沿いには鶴岡や酒田といった市があるが、ここの方々は二日の昼前まで避難になったようだ。 

 さて四日に金沢に戻った。金沢駅自宅近辺において崩れたり壊れたりしている風景はバスの車窓から見るかぎりない。自宅にはモノがほとんどありませんから、東京の前の家から引き上げて書斎に積んでいた本やCDの柱が崩れたり、棚のものが落ちていたりという程度だった。炊飯器やIHクッキングヒーターなどが所定の位置より大きく動いていて、それに揺れの大きさを感じた。ちなみに余震は四、五日にはなく六日に二度。

 五日は職場に行った。自宅〜大学の山道は、片道通行の箇所が増えているように思えたが、いまふりかえってみるとそれは地震の影響かはわからない。部屋の中はパソコンのディスプレイがひっくり返ったり棚の本がぱらぱらと落ちていた程度で済んでいた。しかしその後数週間過ごしてみると、棚の隙間や立ててある本の裏側に何冊かなだれこんでいて、探している本がちょうどそのように地震の揺れでどこかに消えて、探すのに苦労したりした。
 デスクには恩師からいただいた『白鯨』のエイハブの木彫り人形を置いているのだが、これが床に伏せっていたので(白鯨とのたたかい以外で難破してはいけないよ。。。)とか思いながらまた棚にもどしたり。
 同僚が煙草を吸いながら、仕事がなければボランティアに行くのにと言っていて、たしかになと思った。しかし私は車を持っていないからどうも心理的なハードルが高い。3.11のときは大学一年生の春休みでなにもせずなにもわからずぼんやりと友人とスカイプをしていたことを思い出す。友人からプレステ2を借りていてファイナルファンタジー10をクリアしたあとはドラゴンクエスト8をやっていたはずだ。新学期がゴールデンウイークのあとからの開始になって、休みになった4月に何をやっていたかほとんど覚えていない。震災の少し前からアルバイトをばっくれていたので、新しいバイト先を探さなければと行動していたかしら。私は大学二年生で変わった。でもかなり危うい青年だったと思う。
 そういう「危うい」とはちょっと種類が違うでしょうけども、10年以上経ったいまでもすっとこどっこいであんぽんたんなことはときおりしでかす。石川に住んでみると「東京」が外国になってしまったなと思うようなことが多々ある。そんな感覚は、石川がいろんな区分けにおいて西日本とみなされているからで、この前ちょっと焦ったこともそういう点に端緒がある。
 この前名古屋に出かける機会があって、私は「えきねっと」でいつもSuicaに切符を紐づけて購入する。まあさすがにSuicaJR東日本ICカードということは分かるけれど、そういや「えきねっと」がJR東日本のサービスであることはこれまで考えたことなかった。去年の4月までずっと東日本に住んでいたからなあ。自分がいるところや自分の使うサービスが何日本なのか、みたいなことをほとんど意識したことなかった。いまグーグルで検索してみると、おもいきり「えきねっとJR東日本)」と書いてあるわ。まあこの数行だけで私がどんなポカをしたのか想像できると思いますがまあ最後まで読んでくださいよ。私は出かける前日に座席を予約し、ICカードに紐づけられないので紙の切符を券売機で出すべし、という指示を読んでフーンと思った。
 朝が来て、起きる時間やらバスに乗る時間やら完璧だな~ふふふん、と私は揚々と金沢駅に行ったのだけれど、QRコードでも受付番号直打ちでもクレジットカードぶっ込みでも予約した切符を発券することができなかった。20分ほど余裕をもってホームに入場し、コンビニのコーヒーとパンでもいただこうかしらん、と思っていたのだけれど、焦って券売機を移ってみたり駅員さんに話を訊いてみたりするうちにそのくらいの時間なんか飛ぶようにすぎてしまうんだなあとわかった。まあけっきょく私、なんで発券できなかったのかよくわかっていない。(いまちょっと調べています。) 執筆再開。名古屋はJR東海であり、東海の区間を含んだ切符は西日本、北陸のエリアで受け取れないみたい。私が日本のなかを移動するといったら、だいたいが東京と山形の二点間だけだったので、そもそもそういうことがあるんだねえという感。つまり金沢から名古屋エリアに行くためには違う鉄道会社のウェブ予約をしなければいけなかったってことか。そうか。私は「えきねっと」でしか新幹線の予約はできない、くらいの考え方だったので、まったくそんな発想には至れなかった。また、私は学生のころはほとんど「みどりの窓口」や券売機で新幹線の券を買っていたし、「えきねっと」をよく使うようになったのはわりと30代になってからなのである。
 でもえきねっとでは西日本~西日本の切符は買えるのだろうか。そして発券できるのだろうか。そしたらえきねっとはとても万能ではないか。しかしだとしたらJR東海が特別だということになる。私はこの前人生ではじめて名古屋に行ったくらいだからよくわからんな。
 そもそもじゃあ、なんで「えきねっと」で金沢から名古屋までの切符を買えるんだ!注意書きもなく!!金沢駅でそれを発券できないのに、と私は列車の時間を一時間ずらし、駅に入っているマクドナルドでまずいコーヒーとパンを食べながら(ほんとうに不味く感じた)考えた。すると西日本で「えきねっと」を使っている自分のほうが悪いのだと理解できた。「えきねっと」はJR東日本のサービスだから東日本で発券することを前提としているわけだな。たとえば東京から金沢に旅行に行って、そのあと名古屋の親戚の家に行くとか。そしたら東京駅ですべての券を発券できるわけだな。じゃあ、「金沢~名古屋間は金沢で発券しよっと!」って考えてしまったら詰むよね、とかまずいコーヒーを捨てながら考えた。ちなみに名古屋駅では名古屋~金沢の切符は発券できる(金沢駅で駅員さんが確認してくれたし、じっさい発券できた)、これもよくわからないが、めんどくさいのでもう考えることをやめたい。まあようするに、国内のいろんなところへ行くにしても私は東京からしか発ったことがなかった、というのを思い知らされたっていう話です。
 朝の私はめちゃくちゃあわてていて、最初に「発券できないんですけど......」と訊いた駅員さんは、「ああえきねっと.......、もういちど買い直してもらわないと......」くらいしか応対してくれなくて、しかし自分がオンラインで買った時刻と経路と金額の便を自動券売機でうまく検索できず、だめだだめだっ!お金がもったいないしちゃんと払い戻しできるかわかんないし(なんか自分が悪いとだんだんと感じ始めたのだ)、やっぱりオレは昨日決済した券を発券してやる!という思考に陥る。このときはあまり要領を得ていない&時間にまだ少しだけ余裕がある&でもあたまがこんらんしているので、(券売機を替えればオレの券は出てくるんだ!!)という往生際の悪い考えをしていた。壁に埋め込まれた券売機のほかに「えきねっと専用」という端末が二台立っていて、(きっとこれなら発券してくれるんだ!!!)と私は飛びついた、だってこんなに並んでいるのだからやっぱりえきねっとで予約した券はこの機械なら出してくれるんだ、と、あまりにもアレな思考に陥っており、列に並んでいると時間をどんどん消費してしまうのに、私は前の人が、前の前の人が、前の前の前の人が、機械からもちゃもちゃもちゃと発券するのを手汗握りながら待っていた。駅員さんが、「左手の自動券売機でも発券できますよー!」と整列をうながすのだが、(でもオレの場合は特殊なケースみたいでこの機械でしか発券できないんですよ!そういうことってありますよね泣、だから「えきねっと」専用の端末がわざわざ立てられているんですよね)と根拠のないことや自分だけの論理を心の中で叫んでいた。「えきねっと」の端末は、とうぜんながら、自動券売機の「えきねっと」のボタンを押したときの画面とおんなじであり、とうぜんながらQRコードでも受付番号直打ちでもクレジットカードぶっ込みでも予約した切符を発券することができなかった。
 「んごっ!!発券できないんですけど~!!」とえきねっと端末の近くで整列をうながしていた駅員さんに泣きつくと、もうあと1分くらいで発車してしまう私のオンラインチケットを見て、「んおっ!!!嗚呼えきねっと!!!もういちど買い直してもらわないと」と、反応よく、さっきの駅員さんよりももう少しくわしく説明してくれた。何かのエラーや手違いとかではなくて、昔から今まで、そもそも発券できないようになっているのだと、ようするに列車会社やその予約サイトの区分の問題なのだと。私は昨日予約した列車に乗ることはもうあきらめて、その駅員さんに小学生のように(けっきょく)自動券売機のところまで連れられ、駅員さんに最適な列車を検索してもらった。至れり尽くせりだ(ちがうか)。駅員さんが離れていってから私は検索画面で少しだけ吟味し、さて購入というところで財布をのぞいてみるとカードがない。えきねっと端末にぶっこんだあとに焦ってそのままにしちゃったんだ! 端末のほうへ翻ってみると端末の列は順調に消化されていく。せっかく駅員さんが出してくれた検索結果を最初の画面に戻し、私はまたえきねっと端末のほうにダッシュして、心臓がばくばくするも、でも、こんな早朝に金沢という文化的で閑静でお魚が美味しくて良いひとばかりの街からえきねっとの端末をつかって新幹線に乗ろうとしているひとのなかに私のカードを盗んで不正利用しようとするようなひとはいないんだというまことに性善説なことを想いながら数十秒前にお礼を言ったばかりの駅員さんのもとへ近づいた。
 でも駅員さんと少し距離を取ってもう一度財布をまさぐってみたら、カードはあったのだ。焦っていてふだんそこにないはずの場所にはさまっていたのだった。もういちど駅員さんに泣きつくはめにならなくてよかった。
 
 あ~あ払い戻しできるのか、できないだろうな、勉強代8000円か、と思いながら私はカードで決済しようとした、そしたら「このカードでは取引できません」という表記が出て、あわをふいてひっくり返りそうになった、スーパーマリオワールドのノコノコばりにひっくり返りそうになったけど、こっちはすぐに理由が思い当たったので、駅構内のATMに向かってマリオカートの亀甲羅なみにしゅこんしゅこんと飛んでいき、私は一時間後の切符を無事に買えたのでありました。
 
 マクドナルドでまずいコーヒーを飲みながら、えきねっとの払い戻しのページを眺めてみると、なんか複雑だなあ、ていうかたぶん自分の場合は無理そうだな、と胃がむかむかする。でもよく考えてみたら、私が買ったのは自由席だったから、難なく払い戻せたのでありました。だから、勉強代は払い戻し手数料の500円だけだった。このマジでしょうもない駄文をふくんだ日記本は500円で売れるかな。
 
 そんな感じでさいきんは災害なり出張なりで自分が金沢に住んでいる、いまの自分は北陸の人間なんだということを意識させられることが多い。金沢を舞台にした映画や小説を見かけると、引っ越してきたときよりもずっと(おっ、いいね)と思うようになった。仕事ももうすぐ初年度が終わりに近づいて、自分もここになじんできたことを感じる。いつまで居るかわからないけどせっかく住んでいるのだから文章のこやしにしないとね、でもえきねっとの端末はきっと各地のステーションにあるよな。
 一月ももうおしまい。東西でエスカレーターの寄る側の左右がことなるとよく言われるが、地図で見れば西にも東にもまたがっているようなこの街、いわゆる「都市」とはべつの雰囲気をただよわせているこの街のエスカレーターは、みなのんびり思い思いの側に寄っている、それは好きなところだと思う。他人をそばに連れていてもその彼が、彼女がとなりや斜め下にいてもいい。エスカレーターというverticalな機械にも、horizontalなこころがある。いっしょにエスカレーターに乗りましょう。乗ろうね。
 
 

日記でございみし

 

 前回の日記は1月12日に書かれたもので1月3日から12日までを書こうと思っていたのですが、8日の朝のことまでを書いて力が尽きました。今回は8日の朝以降の出来事から今日の日付(1月29日)あたりまでをボブスレーのように一気に。

 

 特に書くことないな、あんまり覚えてない、っていう日はその日のツイートを載せてます。

 

1月8日 (月)

 成人の日。前日の7日、家を出たらアパートの玄関に振袖の子がいた。この日は早い時間に上映される映画を観たかったので、朝から山の下に降りていく。この町のバスの乗り方にも慣れてきたがうまくいかないこともある。たとえば映画館に行くためには○○経由の金沢駅行きに乗るとよいとすると、その日私が乗りこんだのは◇◇経由の金沢駅行きのバスだった。では○○経由のバスを待てばいいのかというと、祝日ダイヤだし、地方であるから、そのバスを待っていたら映画の時間を平気で過ぎてしまう。

 ◇◇に着いて、○○までどれくらいかかるかgoogleマップで調べてみると、直進で1.1kmくらい離れているらしい。問題ない。田舎育ちの面目躍如であり、私は太いメンタルでずんずんと歩いた。◇◇から○○までは市内でも賑わっているほうのアベニューだが、天気が悪く、先日の地震の余波もあるせいか、市街は人の姿が少なくどこか寂しい感じがした。

 ずんずん歩いたがけっきょく、映画館に着くとチケットの時間を何分か過ぎてしまっていた。この映画館は単館系だが、夏にシネコンへ『君たちはどう生き』(さいごまで書けよ)を観に行ったときも間に合わせることができなかった。『君ど』のときは予告編の時間がたっぷりあったために多少遅れてもぜんぜんオッケーだったが、単館系だしどうかな、冒頭の数分間はあきらめるか、仕方ない人生すべて勉強、とか思いながらエスカレーターを昇っていた。もう館内は暗いだろうし、見つけやすいところを...、と思ってスクリーンから見て「柱」の近くにある右端の席を買って入場。まだ予告編の途中で快哉。でも「柱」が通路をはばんでいるせいで自分の席に辿り着けない。ぐるっと回って端の席に行かなくてはいけないのか? バスの経由先といい「柱」といい、オレは映画が観たいだけなのに障害が多すぎる、と泣きたくなったが(太いメンタルはどっかいった)、「柱」と壁の間に通路があったわけで、(あ、なるほど...)と私は自分の購入できた席に座ることができた。んー。すごいばかみたいですねこの数行は。

 鈴木清順の『陽炎座』。久しぶりに「映画」を観ることができたなあと感じ入った。途中から舞台が金沢になってうれしかった。『陽炎座』の原作を書いた泉鏡花は金沢の文豪のひとりだ。作中に出てくる金沢のひとが「~ございみし」と言っているのがとても耳に残った。金沢弁では「~ます」を「~みし」と言うらしいが、わりと昔の言葉遣いのようである。「......つまりだから、サザエさんが金沢のひとだったら『サザエでございみし!』って言うわけよ!」と、その夜の電話で私はりさこさんに喜々として喋ったのでございみし。また、劇中深沢七郎の「みちのくの人形たち」を連想する場面があって、これも非常に面白かった。

 映画を観たあと、近くのデパートの地下に入っている本屋へ行く。泉鏡花の本がそろっていたが、『陽炎座』の原作になった作品が収録されたものはなかった。『世界』の二月号を購入。「文豪カフェ」という場所が併置されており、そこで文豪みたいな顔でドライカレーを食べた。お客さんはみんな本を持ち込んでゆったりと読書の時間を過ごしていた。また違うデパートの本屋に行って「文化戦争」を特集している『スペクテイター』を購入。この雑誌のことをいままで知らなかったのだが今後チェックしておきたい。その後、金沢の古書店オヨヨ書林を探訪。古書店の棚を眺めているときが人生でいちばん落ち着く。三冊ほど目星をつけた本があったが、古井由吉の『雪の下の蟹』を購入。表題作が金沢の雪かき小説であると研究者の東條慎生さんに数日前教わっていたので、ピタリと見つけられてよかった。その後駅前まで歩いていき、無印良品であれこれ買ったりして山の上にもどった。

 この三連休の夜はハンターハンターのグリードアイランド編をぶっ通しで観ていた。ドッジボールとボマー戦やっぱり熱すぎる。

 

1月9日 (火)

 ハンターハンターを観終わったので次は何を観ようかな~、と夜に考える。そういえばアニメのほうはぜんぜん観たことない、と思って『進撃の巨人』を観始める。ミカサが「理由がないのに泣いてるのは変だよ」と言っていて、ほんとそうだよな~いいこと言うじゃん、と「焼酎ハイボールドライ」を飲みながら思った。

 

1月10日 (水)

 仕事が本格的に始まってくる。自分のことがまったくできない。

「あぁ〜っ、、傘をバスに忘れてきてしまった。 あしたベランダから生えてこないかな」 午後6時28分

 

1月11日 (木)

 いそがしすぎてちゃんとしたメシが食えん。この日は「からあげパン」を食べた。一区切りついたところで250円のジュースを飲んだけどたいして美味しくなくてもう自分が少年ではないことを知る。

 夜は飲みに行った。厚揚げ豆腐うまい。

 どんな卵が好きか、という話をする。相手は「真ん中が7割くらい半熟のもの、8分茹でくらいの」と言っていた。私は「自分もそういうのは大好きだけど、なんか儚くて嗜好性が高い。おでんとかの味の染みた、しっかり固まった卵も愛だなと思う」と返して、(われながらいいこと言うなあ)と思った。目玉焼きも固くてまったくかまわないのだ。とろとろ半熟至上主義のオルタナティブを提言できたようで勇壮な気分になった。おおげさだな。

 

1月12日 (金)

 仕事は休み。1月前半の日記を書いたが、疲れて数日分で終わってしまう。ん~、年末年始は楽しかったなあ。

 

カレーうどんで最強になった カレーうどん君に改名します」

午前11時29分

 

1月13日 (土)

 自分は他人の感情の変化に敏感なんだなあと思う。それは自分が他人の感情を変化させることに対して鈍感だったからこそ培ってしまったものだ。

 雪あらしが吹き荒れるなか、下山して大きなホームセンターに行く。なんでこんなことしなきゃいけないんだろうという思いがめちゃくちゃ強い。ここでなんのためになにを買ったかは内緒だ。夜、焼きそばを作って食べた。二玉を一気にたいらげてしまって若い気分だ。

 

1月14日 (日)

 京都で文フリが開催されたり、東京では小説関係のお食事会があったようです。私は夜になったらいつもの居酒屋へ。

 

「文フリ京都に遅ればせながら到着 とりあえず見本誌コーナーの隣にあるビールスタンドでかけつけ一杯 これがうまいんだよな ありがとう最終入場22:30 

(生ビールの写真を添付)」

午後6時57分

 

このトボけたツイートに対して、@lemonade_airさんが

「今新千歳でギリ合流します!」と

さらにすっとぼけた返信をしてくれてかなり笑った。

 

1月15日 (月)

 ずいぶんと忙しい。バンド「忘れらんねえよ」の「これだから最近の若者は最高なんだ」という曲がリポビタンDのように効く。「アイドル猫がオレより稼いでる めちゃくちゃでウケるぜ」という歌詞に笑った。感謝をいだいた歌詞もある。サンキュー柴田さん。

 

1月16日 (火)

 昨日とだいたい同じ。夕方、スーパーで会計したあとに石川が揺れる。疲れていたので自分のふらつきかと思った。

「前髪が煙草吸ってるやつの部屋のソファーの匂いする」

午後9時11分

 

1月17日 (水)

 朝、腹に違和感。昼からものすごく痛くて身動きできないほどだった。トイレに行っても晴れることがないのでこれはまずいぞ、と思いながらふらふらと仕事をする。15時あたりから少し楽になってきたが完全には晴れない。

 

1月18日 (木)

 朝、病院へ。お医者さんがなんとなく蓮實重彦に似ていた。盲腸が炎症ぎみらしい。三日間薬を飲むことになる。私は実年齢よりも下に見られることが多いが引っ越してきてからはとくにそうで、病院でも薬局でもえらく子ども扱いされているような気がしてうろたえた。薬局でマイナンバーカードを保健証にひもづけうんぬん、みたいなことを促されて、した。なすがままでよくわからない。職場。仕事につかれたので甘いもの飲みたいと思い「コメダ珈琲店飲むコーヒーソフトクリーム」というストロングなものを買ってみた。おいしかった。お目付け役に報告したら「腹によくなさそうだ」と注意される。

 

 夜、古井由吉「雪の下の蟹」を読む。

 金沢の雪下ろし小説。古井由吉は小説好きの嗜みのようなイメージがあって私も何冊か揃えて読んだ。福武文庫から出ている随筆や『半自叙伝』は好く読めたが小説は「これは」というものを得られずにいた。

 たとえば「杳子」は、言葉にし難い何かがしつこすぎて「すごいな」と思うばかりで『仮往生〜』は単に「すごいな」で四分の一くらいで読書をやめていたと思う。この短編は「やっと『入門編』を見つけた」という感がした。語られている土地や主題に親しみがあったからだろう。

 「正月を東京で過して、一月もなかばに金沢にもどって来ると、もう雪の世界だった。駅を出るとちょうど雪が降りやんだところで、空は灰色に静まり、家々の屋根の柔らかな白が、夕暮れの中に融けこもうとしていた。」

という書き出しが衒いのないとてもいいリズムの文章で自然に入り込めたのだった。すごくいいな、自分もまた小説を書きたいと思わせてくれるような文章ばかりでこの一編は構成されており、誰にでも勧めたくなる短編だった。

 「雪」というと静かさや香りのなさや停滞を思い浮かべるが、私が好きだったのは雪おろしを中心に描きつつ、風呂屋の臭い湯船やドブに流された汚物や雪の中で発生すると大事になる火災の、人々や語り手の心配のなかにある炎など、強い匂いを喚起するものが多く出てくるところで、音の面で言えばやはり男たちの雪おろしを指揮する女の子の声は耳に残る。(ちなみに今年の金沢は暖冬で雪が少ないという話ばかり職場で耳にする。)

 読中、異物のように紙面から目に残るのは、語り手の同僚が酔っ払って語り手を道で見かけるというくだりで、私も語り手とともによくわからなくなって、そこが屋根の上の重い雪のように小説の重くごつごつしたもののように感じられて楽しかった。この短編を紹介してくれた東條さんのブログによればこういった分身のモチーフは古井作品において反復されているようだ。教えてくれてありがとうございます。

 私が好きだった一節のひとつ:「雪の重みの下でひっそりと憎しみの感情に耽けるのは、奇妙に快いものだった。」

 

 

 以上の感想は連投したツイートを多少書き直して貼り付けたものだが、自分はちゃんと小説を読んでまとまった感想を書けるんだなあとちょっと安心する。意外に思われるかもしれませんが、おそらく私は他の人と同じように気軽に小説というものをさっぱり読めないのですよ。

 

1月19日 (金)

 酒を飲まない金曜とか何年ぶりだかわからない。

「ノンアルビールがまずくて家の柱かじってる」 

 午後7時11分

 

1月20日 (土)

 名古屋に出張。朝、ちょっとしたトラブルがあったのだが、イチから説明すると疲れてしまうので、あとから加筆したいと思う。あー疲れた。でもいい一日だった。

 

1月21日 (日)

 昼は近所の町中華でチャーハン。ここのチャーハンはうまい。遠出した次の日はこういうものを食べなきゃね。ちなみに昨日は名古屋らしいものをほとんどエンジョイすることはできなかった。夕方近く、りさこさんが金沢に遊びに来てくれたので迎えに行く。バスのICカードを作らせた。腹はすっかり治ったし、薬もぜんぶ飲み終わったので、体にながしこむ酒のなんとうまいことよ。

 

1月22日 (月)

 夜、いつもの居酒屋に行く。能登牛と能登豚の串焼きメニューが追加されていたのでさっそく注文する。

 

1月23日 (火)

 この週の火曜、水曜、木曜はだいたい同じような日々で、火曜の夜から大雪が降って、県には警報も出た。火曜の昼間から今度は風邪をひいてしまい、頭やら顔面が重たくてたいへんだった。腹痛よりも風邪のほうがやはり、全体的な元気は損なわれるなあと思う。ココアを買って夜に飲んだけどお湯に溶かしてもやっぱりたいしておいしくねえ。肉豆腐やらそぼろ大根やらあたたかくておいしいものを自炊して静養する。だけどこういうときにむしろ勉強がはかどったりしてそれはすごくいい。

 

1月26日 (金)

 『八月の光』読書会。ジョアナ・バーデンの館の大火事や、リーナをめぐるバイロン・バンチとハイタワーの長い対話など。読書会のなかで言えなかったことを思い出してみるなら、「白人の女が死んだということは、黒人がかかわっているはずだ=かかわっていてほしい」という南部人の自意識をフォークナーが書いていることの指摘が面白かった。とあるくだりにおいてフォークナーはby a negroとby Negroという面白い書き分け方をしているが、ここについてもう少し検討してみたい。それにしてもハイタワーと会話しているバイロン・バンチは場末の居酒屋でうじうじと恋バナを聞いてもらっている後輩くんのようでいじましい。ハイタワーのほうについても、バイロンが家を去ったあとに(やれやれあの若造は)というふうに肩をさげるようなくだりが書き込まれており、このコンビはなかなか好きである。読書会後、(それ小説のネタにいただけないかな)と思ってしまうような話をうかがう。私はひたすら職場の話。

 

 

 

 

「同僚が昨日言っていた「文章を書いていると元気が出てくる」とは、名言である。まあそれもそうだし最近はちょっと集中して本が読めるだけでスゲーッ 生きてる、これがオレの本当の姿だ... ってなるわ。」

 

 

「本当の姿とか言っちゃダメ」 1月17日午後8時37分