冬の花火

 

 私は文字だけでその向こうの人間を好きになってしまうほうだと思う。ひごろ文字だけで接している、センスがよくて「素敵なひとたち」は、その、言葉の選び方や並べ方、そこから自分に向かってしっとりと映し出されてくる思想や情感といった、まだ名付けられない、「あなたのもの」とも名付けられない、ましてや私のものとは呼べないものに惹かれるのだろうと、解釈したがるのだろう。あのひとたちは頭がよく素敵だから、しかし、そんな高尚なものではない。私は文字の向こうにいる人間をいつでもちゃんと思い浮かべているのだ、それはどんくさいことだからあらためてネットに書く必要もない。

 小学生になってテレビゲームやサッカーボールやバット、グローブが身の回りにあるのと同じようにもう、私の世代の生活にはインターネットにつながっているウィンドウズのパソコンがあった。SNSという言葉がひろまる前から、そのような場所で私はずっと自分にそのときどきの名前を名付けてきた。むかしの映画のようにたとえるならば、こんなパーティはつまらないから抜け出そうぜ、という感じでぐうぜんに仲良くなったひとと連絡先を交換する。手紙の行き来のなかで誰かは私のほんとうの名前を知る。それは相手も同じ。あなたの名前は自分の通っている学校にも何人か存在するありふれた固有名詞だから、すくなくとも、三十八歳になったいまでは中学二年生のころにやりとりしていた高校二年生の彼の名前を忘れている。メールアドレスにdevilという単語が入っていたことは覚えていて、だからといって私は彼のことを記憶のなかで「悪魔くん」などと名付け直すことはしない。仕事のやりとりをする相手のプライベートのアドレスをふとした理由で知ることもあるが、ほとんどの人間が、tanaka0127@xmail.com

みたいなやつだ。でも当時はみな、ああいう「かっこいい」アドレスを自分で考えて使っていたのだ。富山県も工業高校も当時はよく知らなかったが彼はそういうところにいた。自分が高校二年生になったときにはそれが、どれだけ輝いていて充実した季節なのか知った、自分が中学二年生だったときだって、その想像はできていた、彼はどうしてこんなに私に、私と仲良くしてくれるのだろうと不思議だった。高校でいじめられているのではないか、学校に友達がいないのではないか、ほんとうは部活が楽しくないのではないか、いくつかのことを考えながら、文字面では明るくて温和でのんきな彼と、会話のように手紙をやりとりした。そのやりとりは思春期の私が現実で苦しみ喜んでいた若い恋愛とは異なった方向性をもった感情を自分の心にもたらした、うんと歳をとるとむしろ彼とのやりとりのほうが恋愛だったように思える、それは過去の自分が、ちょっと前までの自分がとうてい恋愛とは名付けられない住所で起こっていることだった。それを悪魔的とは思わない。

 十代の半ばをすぎて二十代の前半あたりまで、私はいわゆるネカマのようなふるまいを文字でしていた。令和のいまでは自分に対しても相手に対してももう、めったに使われないような言葉だ。いまの私はネカマでもなんでもない、かといって中年のおじさんであることを強調したりもしない。健康診断ではいつも尿酸値やコレステロールや肝臓の値が悪い、頭頂部は順調にせりあがっている、言うまでもなく腹はぽこんと突き出ている、居酒屋に行けばおしぼりで顔を拭く、夏場なら脇も拭く、ビールを飲めば、はばからずげっぷもする、呑んだ帰り道、酔っ払って駅のトイレでうまく小便できない、年下の女性と少し気をゆるめて語らえば、かならず失礼なことを口にして、翌朝うじうじと落ち込む、その気持ちをラインにしたためてさらに面倒なことになる、そんなことは文字にしない、いっぽうで、自分のことをあからさまに女性であるように思わせるような自己演出もいまではもうしない。あのころ、いまでも、現実の自分は常に女性の肉体や感情を求めていたのに、文字ではネカマだったことを不思議とは思わない。自分と同じような文字がたくさんあったことを私は知っているし、少なくとも私は、ふりかえれば私は、現実ではいつでも畳の匂いがする恋愛をしていたが、中学二年生のころに富山から受け取っていた、送っていた恋愛と似たようなものを心のどこかで求めていて、その住所を探していて、その可能性を高めるために、女の子のふりをしていたのかもしれない。そんな自分が悪魔的だと思われてもいい。

 悪魔がもしケダモノに寄った存在であったなら、隣の部屋に住んでいる大学生の若者たちがそうで、木造のこの家では、焦って急いで不動産会社に探してもらったこの部屋は、角部屋で広いしペットも可なのだけれど、隣の音がつつぬけで、彼女ら、彼らは毎晩悪魔の宴をしている。学生が住むには広い場所だから溜まり場になっているのだろう。隣の部屋から楽器の音や歌声や、酒を飲むことを盛り上げる歓声やわいせつな声が聞こえてくることはいい、私だってそうだった、喧嘩も仲直りも、次の部会で何某の言動を取り上げてどう訓戒するかの会議もいいだろう、他人の楽器を盗むのはたしかにまずい、そんなことより、部屋の中で花火をし始めたときはおどろいた、せめてベランダでやってほしい、私はそうした。とてもさみしい八月のことだった、もっとさみしいことがあった。

 若者たちは数日間長野にスノボーをしに行ったようだから(ほんとうに何もかもつつぬけなのだ、この部屋に越してきて私は思春期のころのようにふたたび文字のなかに引きこもった)、久しぶりに完全に、静かな部屋のなかにいて、誰に読まれるでもなく読ませるでもない自分の離婚経験についての日記をくだくだと、書いたきりのブログを、久しぶりに書いています。

 

 あのひとはとても素敵だ。私はあのひとの文字からあのひとの暮らしを思い浮かべる。あのひとが料理を作った写真を投稿したらすぐにボタンを押す、あのひとが面白いことを書いたら三つにひとつくらい面白いと思う、あのひとが少し真面目な考えを主張したら朝と晩に二度読み返してなにも反応しないでおく。賛成するためにはどのような知識を身につけるべきか少しだけ寝る前に考える。でもあのひとは私には格別の関心がない。あのひとは他人に対してそっけなくて、だけどいつもユーモアを忘れずに接する、だから人気者だ、私はあのひとのいわばファンのひとりなのだ。あのひとは他人のださいところや頭の悪いところに聡い部分がある。私はあのひとがときどきこわい。あのひとは私にたいして関心がないはずなのに、私はあのひとに嫌われているんじゃないかと思ってしまう。あのひととDMをする。ここが正しい住所なのかわからない。あのひとが私のことを女性だと思っている。そんなことは十年以上ぶりだった。あのひとは私の文字からその向こうにある乳房や臀部を架構、仮構している。私はあのひとの下心に応えられないのに私は自分の現実を明かさない、そんな自分を私は悪魔的とは思わない、それは、あのひとと私がほんとうはよく似た心と体を持っているからで、あのひとの悪魔的な部分をゆるせるのは私だけかもしれないと思うからで、だから、そう思っている私のそういう部分が、醜く悪魔的なのだと責められたらそれは、仕方ないかもしれない。

 あなたは醜くなく、小悪魔であり、けっきょくは私に関心がない。私もまた、あなたから見て脈なしの存在で申しわけがない。土台のない話なのだ。

 私はきっとあのひとと同じくらい、異性愛者の男性用のアダルトビデオについて詳しいだろうし、あのひとと同じように、中学の野球部の最後の大会では気合を入れて頭を五分刈りにしたし、高校生のころは腰パンもした。

 あのひとはメールをすぐに返してくれるのに、私が「夫」として登場している、全六回もの記事に分けたブログの日記を読んでくれてはいない。その日記には短文のSNSにはしたためられない私の人間性がすべてぶちまけられているのに。私はつまらなくてすっぽかされた気持ちになる。私はあのひとの一八、一九ごろに書いていたブログまでぜんぶ読んでいる。若いころのあのひとは「人間は演技的なことをして自分を物語の主人公のように仕立ててはいけないと思う」と書いていた。はたちになる前からそんなことを考えていたあのひとが素晴らしいと思う。だけどその考え方が自分に向けられると、私はとてもさみしくなる。私が、家のベランダで、ひとりで、線香花火をしたり、暗い公園のベンチに座って、ひとりで、からあげ弁当を食べていたことをあのひとは疑った。そういう投稿をSNSに書いていたのだ。あのひとは小悪魔的に書いてよこした、キャラ作りだと。私はとてもさみしくなった。とても。さみしくなって涙がぽろぽろこぼれた、缶チューハイをにぎりしめながら。線香花火をしたり、弁当を食べているときも、そのときどきの辛さとさみしさで泣いていた。あなたから「キャラ作りだ」と言われたとき、私は、あなたは、あのひとはそんなことはしないのだろうな、と思って自分が気持ち悪くてなおさら泣けた。私は三十八歳のおじさんだけど、あの夏の日、あの秋の日にそういうことをしていたということは、嘘じゃないよ、演技じゃない。私は、SNSで演技していない。だけど、言葉に、文字になればすべては、現実から離れて、読まれたい感情と読みたい感情のコーティングによって、そのときのさみしさが、私のものでも、あなたのものでもなくなってしまうものね。私は、おそらくあなたが思っているほど、ぼんやりしていないよ、少なくとも、そんなことをこうして伝えられるほどには。「花火しているとき、ほんとは彼氏でもそばにいたんじゃないの?」って、ばかかお前は、いねーよ、むしろオレは彼女がほしいわ、いっしょに花火したり映画みたりする彼女がほしいけどできねーから、ひまつぶしに性別をぼやかしたままあんたとメールしてるんだよ、そう返信したらもうあのひとからメールは来なくなるのだろう。私は名付けられない住所を失ってしまって、もっとさみしくなってしまう。

 あのひとは私の家にねこがいることすら最初は疑っていた。たしかに他の人がそうするように、私は自分の飼っている動物の写真をSNSに載せることはしない。さすがに、さみしい、を通り越してひどいんじゃないかと思った。ねこがいる生活を文字にすることは、文字の向こうにいるねこを、あのひとに想像させないものなのか。私のキャラ作りしか想起させないものなのか。私が無意識になにかキャラ作りをしているとしたら、その最大のところをあのひとは見破っていない、そんなあのひとを私はかわいいと思う。妻と一年半かけて離婚して、ねこ一匹引き連れてやっと別居を始めて、そのねこは隣の学生たちが留守にしているからか、今日はとても機嫌がよさそうで、だから私も安心して、こんなふうにいま、ブログを書いています。

 

 ここからの内容は、その学生たちが留守だった夜に起こったことで、コピーして、新しい記事にペーストして、あのひとに読んでもらう予定です。

 

 映画をひとりで観たあとにいい気分になって私は「四文屋」に入った。梅割り焼酎という酒があって、私はそれを呑んで気晴らしをするとともに、自分の体調をはかっている。キンミヤ焼酎に梅味のシロップを入れただけのこのメニューはひとり三杯までで、この日はしっかりと三杯を飲み通すことができた。次の日に大事な用事や仕事があったり、心身になにか不安な影があるときは二杯にとどめておく。私は二杯目の途中あたりからずいぶん酔っ払ってしまう。なにせ焼酎を原液のままごくごく飲んでいるのとそう変わりはないのだから。この日は体の調子がいいのか、その日の仕事は楽なほうだったから疲れていないせいか、すいすいとハラミやレバーといっしょに「梅割り」を胃におさめてしまった。しかし調子に乗ってしまって、酔いも後押しし、帰りのコンビニで冷凍食品のニラレバ炒めやサントリーハイボール缶のロング、しかも「濃いめ」を三本も買って帰宅したのがよくなかった。家に戻ってからねこに餌をあげ、タブレットでお笑いの動画とツイッターを交互に観ているうち、ハイボール缶の三本目を半分残したところで私は気絶するように眠りこけていた。ほんとうだったらそれはよいことだった、なぜなら隣の部屋の学生のばか騒ぎに煩わされずに自動的に眠りの世界へ行けるのだから。さいきんは深酒をする理由がそんなふうになっているけど、そのように理由をつけて酒をばかすか飲むことはアル中の前兆というか症状だと聞いたことがある、それで、その夜はバカ学生たちも留守にしていたわけだし、こんなふうに自暴自棄のようなかたちで入眠する必要はなかった、いま思えばもったいない夜の過ごし方をしていた。「梅割り」は二杯にとどめて、「濃いめ」は二本に留めておけば、いい感じに酔っ払いながら、ねこと静かな夜を過ごすことができたのだった、風呂にも入れた。

 深夜二時ごろにお決まりの脱水症状で私はむくりと起き上がった。起き上がったというのは正確にはうそで、起き上がれず、喉の渇きと、そして喉から腹にかけてのむかつきで、寝転がったまま身をよじることしかできなかった。深夜だからねこが元気に近寄ってくるけど、ねこは水も薬も持ってきてはくれない。吐き気のピークを伏せったままやり過ごし、これなら少し立ち歩けそうだと判断して私はよろよろと冷蔵庫の前まで行った。飲み物が何もなくて私は絶望した。そういえば今日はもともと、映画のあとにスーパーに行って家で飲もうと考えていたのだった。いろいろ切らしているし。私はこういうときに水道の水が飲めない、効かないたちだ。ペットボトルのお茶なんかを一気に一リットルくらい体に注がないと内臓のなかで起きている鈍い火事がおさまらない。私は上着を着てふらふらと外に出て行った、寒く冷たい空気が肌に張りついて辛い気持ちを多少晴らした。いちばん近くにある自販機は公園のそばにある。秋にからあげ弁当をひとりで食べた公園だ。

 ベンチに座って「いろはす」を飲み干した。「いろはす」のペットボトルはやわらかくて、こういうときむしゃくしゃにつぶしてしまう。公園は静かで、寒くて、もちろん誰もいなくて、住宅街は眠りのなかにあって、私は頭が真っ白になっていた。煙草を一本吸う。すると大きな卵のような物体が後ろの藪の中に落下してきた。「いろはす」のペットボトルが藪に投げ捨てられたのと同じようなさりげなさだった、少なくとも近隣の住民が起き出すことはない。そこから四歳くらいの子供をかかえた男が出てきた。親子のようだった。親子の耳たぶは異様にくびれていて、地球人ではないように思われた。だとするとこの卵型の物体は宇宙船だった。じっさいそのようだった。

 嘘ではない。大酒を飲んで、そのあと最悪の気分で起き出し、すべてが静かになったあとに起きたことなのだから。

 私は訊いた。

「どこから来たのですか」

「富山です」

 私は言った、「うむ」

 地球的に言うと彼らは私たちにとって悪魔のようなものであるらしい。慎みがあるために日頃の接触は避けている、もしくは人間にまぎれこんでいるけれども、急用のために悪魔のまま、ここに立ち寄っていたという次第だった。

 急用というのはもちろん、父に抱かれている息子の急病のことだった。悪魔がいつでも常備しているはずの薬を切らしてしまい、途方に暮れているという。富山の薬売りでも準備できないもので、父親はとにかく外で起きている人間をセンサーで察知し、その人間に頼ろうと考えていたようだ。

 父親はまがまがしいツノや突き出たキバや、お尻から生えている先のとがったシッポを私に見せてくれたが、それは「キャラ作り」のようだった。それでも、くびれた耳たぶは生来のものであるようだし、彼らが私たちにとって悪魔であることは間違いないようだった。いかんともしがたい事実である。しかし、どのように悪魔なのかということは、悪魔的言語による悪魔的論理と悪魔的価値観でしか解することができないことらしく、人間である私はその追及をすぐに諦めた。そもそも早急の用だったので、こちらが遠慮したというのもある。とはいえ私は、人間の蛮行によって日々汚されている地球それ自体のことや、自分たちの知らぬ間に住処を奪われたり生態系を変化させられたりしている小さな生き物たちのことを想像した。

 深く酔ってそれが醒めたあとは、そんなことを考えてしまうものだ。

 悪魔的な薬とは、聞くに、たしかに難物だった。そこらの草のように採集できるものでもなければ、製造の仕方は私には少しもわからないし、人間的な商店におもむいて購入できるものでもない。いや、昼間になんとか手に入れようとしても、許可証が必要であったりするのだろう。せめて季節が冬でなければ。いや、しかし私はひとつ思いついたことがあり、悪魔的な熱にうなされている悪魔の子の額をひと撫でし、帰路をたどることにした。

 私は二階の自分の部屋に入って、じゃれてくるねこを無視し、そのままベランダに出た。手すりを伝って、隣のバカ学生の部屋のベランダに入った。あの悪魔の父親はとてつもない冒険のつもりで公園に突っ込んできたのだと思う。だとすれば私もそれに対してとてつもない冒険心で応えなければいけない。それが人間的な義侠心ではないか。

 深く酔ってそれが醒めたあとは、そんなことを考えてしまうものだ。

 むしろそんなときに大胆なことをしでかしたりしてしまう。

 たとえば、もう自分の思い出のなかにしかいないはずの誰かに電話をしたりメールをしたりしてしまうのは酔い始めや酔いの最中ではなく、じつはひとしきり酔ってしまったあとなのではないだろうか。

……ともあれ、そのとき私は自分に酔っていたのだと言える。

 そんなふうに言えば、うまいはなし、とおちつくだろうか。

 ともあれ。悪魔的な要請に応えられなかった場合、悪魔的な報復を私が、いや人間が免れないという可能性だけは、火事を消すためにいっぱいに注がれたバケツの水のように、自分のなかで大事にかかえていたので必死さがあった。もう自分の内臓で起こっている火事のモヤモヤは消し飛んでいた。

 あいつら、なんでもかんでもつつぬけなのだ。「いっつもここの鍵開けっ放しにしちゃうんだよな」「不用心だよ、何回も言ってるじゃん」「ユリエが家の中で煙草を吸っていいって言うなら不用心じゃなくなるよ、何回も言ってるじゃん」とか。私はすんなりと隣の部屋に入った。もう自分の思い出のなかにしかないはずの匂いに包まれた。私は雑然とした部屋から花火セットを見つけた。それを胸にかかえて、少し疲れてしまい、ひきっぱなしだった布団に寝転がった、自分の部屋と同じ天井を見つめた、同じ天井であるはずなのにそれももうほんとうだったら、自分の思い出のなかにしかなかった。

 こんな部屋でいろいろと傷ついたり傷つけられたりしたことがふと思い出された。それが私の現実だったのだ。SNSに自分の現実などはない。文字はすぐにわかりやすい物語になってしまう。そう思っているのに、それに依存してしまうのが私の世代だったわけだ。

 公園に戻って父親に花火を渡すと、彼は悪魔的な手際で置き花火や手持ち花火を分解し、火薬を採取し、悪魔的な呪文と悪魔的な用具を使ってそれを調合させていった。私は手持ち花火をひとつつまんで、ライターで火をつけた。白い光が、紅に、次に青くふきだしていく。あのひとは、悪魔のそばでこんなふうに丑の刻も過ぎたころ、私が花火をしていることを信じてくれないのだろうと思った。でもこれが作り話や脚色のある文字だとして、私はどんなキャラ作りをしているというのだろう。

 あなたも気晴らしにやりませんか、と、作業を一通り終え調合した火薬の悪魔的錬成を待つばかりとなったらしい父親に私は話しかけた。父親は薄く微笑んで頭を横に振った。逆に私が呼びかけられ、私は芝生の上に寝かされた悪魔の子の腹部を見た、悪魔的紋様と悪魔的な色をしたその腹部は、何かの患部であるわけではないらしい。悪魔のへそには「栓」があって、小さなそれを父親は子供の腹から抜いた。父親はそこに錬成の終わった薬をそそぎこんだ。すると、子供の腹部からは、いかにも具合の悪そうなあの悪魔的紋様と色彩がすっと消えていき、おなかは小川の小石のように真っ白な肌となった。

 そして、その肌はたくさんの花火をぼんやりと映し出した。関東に住んでいる人間的にたとえるならば、隅田川の花火大会のいちばんいいところと、江戸川の花火大会のいちばんいいところと、立川の花火大会のいちばんいいところが、三重写しになってふかふかぱちぱちと人間の世界のかがやく色のすべてをそこに散らしているようだった。

 自分の表現力のなさが悲しくて泣けてくるが、そのときの私は、

「こんなに綺麗なものを見たことはありません」

と父親に言いながら、安心した気持ち、希望に満ちた気持ちで子供を見下ろしながら、しとしと、泣いていたのだった。

 腹部のそれはもちろん薬の効いている証拠だった。花火大会がしずかに終わってそのとき、子供の腹部には悪魔的な紋様と悪魔的な色彩が、いかにも健康的にもどっていったのだ。人間も悪魔もかわらないその素直な肌をやわらかな繊維の水色の服にふたたび隠し、安らかな寝顔になった子を抱き、父親は礼も言わずに大きな卵の中に戻っていった、そしてそれは静かに飛翔した。礼も言わないのはどうかな、と私はいっすん思ったけれど、悪魔的なお礼がきっとそのうち私の心の中におりてくるのではないかと感じた。「悪魔的なお礼」という字句が必ずしも加害的とは思わない。

 私はまたベンチでひとりになって、残りの花火に火をつけようかと思ったけど、やめた。花火を眺めているときの気持ちは、きっと何かを思い出す気持ちで、何かを思い出すことは、何かを物語にすることだ。たとえば。この悪魔的出来事は家に帰って眠ったらすぐに忘れてもいい。誰かに語らなくてもいい。文字にしなくてもいい。酒に頼らなくても人間は何かを忘れられる。それでも、忘れたくなかったのか、そう、いま判断することはまさに物語化だが、私はベンチから離れられなかった。空が白んでくるまで、ここに座っていようと思った。煙草はたくさん残っている。きっと今夜は悪魔的社会において異様な夜なのだろう、あの父親だって子供の急病の背景に、もっとすさまじい現況をかかえているのかもしれない。民族浄化の暴力で、よりにもよって、病院が襲撃されたというニュースを毎日目にする。またほかの悪魔が、私を察知して何かを頼ってくるかもしれない。そんなふうにベンチで繰り広げた妄想は、まさに物語化だが、そんな私のことをあなたが人間的だと思ってくれるならいい。

 

 

 あのひとは私のブログを読んだ。私は離婚の日記をふたつの理由から削除していた。あのひとはこの文章をとても面白いとメールに書いてくれた。「序盤がよかった。前から思っていたんだけど、ミチさんは酒飲みなんだよね。飲み過ぎちゃいけないよ。でもこれはミチさんの『キャラ』じゃなくて素、だよね。あ、この前のこと、まだ気にしてる?」気にしてないよ。「悪魔の宇宙人の話も、僕は信じるからね。ミチさんの友人たちがみんな作り話だと言っても僕は信じておく。いい文章だったね。悪魔の子供がいまごろ元気に走り回っているといいね」

 私の足元でねこが、餌をくれと走り回っている。べつにさ、こんなこと信じてもらえなくていい、こんなこと、こんな。そんな、いじけた気持ちが、落ちるすんぜんの線香花火の、ぷっくらとした火の玉みたいに灯ったとき、私はまたぽろぽろと泣いてしまう。角ハイボールロング缶「濃いめ」もう一本くれ。あなたは私が泣いている姿を読んでくれた。この涙は、あなたが読んでいる「私」も、寓話じゃないよ、ただの文字。