まるで泣いてるのと同じ

 音楽を聴きながら日記を書こうと思ってSpotifyを開いたら「あの夏」という噴飯物のタイトルを冠したプレイリストが出てきて、しかもそこには一曲も登録されていないという点が面白いところだ。そういう日常の出来事が架空の話の種になったりする。誰かが「あの夏」というラベルの貼られたカセットテープを聴きたいと思っている、そのラベルを貼った人間はその人にとってあの夏をいっしょに過ごした大切な人だったからだ。「あの夏」は遠い過去に過ぎ去って、大切な人は、じゃあ、もう簡単には会えない存在になったとしよう。ドラマチックなきっかけとよみがえる記憶のなか、いくつかの困難があって主人公はテープを手に入れるが、そこには何も吹き込まれていない。どうしてだろう? わからん。この話は売れない。答えを用意していないからだ。いつもそこで止めてしまって、文章を売ることに対する責任を育てられずにここまできた。ちょっとだけ「ドライブマイカー」を思い出した。

 カセットテープというアナログなメディアの面白い点は、何も吹き込まれていなくてもその何も吹き込まれていない状態が再生され続けることだ。電話をしているときに会話が途切れて、相手がいるその空間の空気が、ただ音のない音になって伝わってくるように。小説の多くが、残された人間の語る話だ。長電話をしていて、ちょっとしたことで(トイレであるとか)相手が受話器から離れる。じゃあ自分もトイレに行こうかな、と思わなければあなたのほうは、ときに受話器をただ耳にあてているのかもしれない。数分間、残されたときに、ふと考えていることがきっと自分の文章だ。文章はきっと中断を中断とは思わないこと。持続。それは相手を想う数分間をまるで、永遠のように感じると語られるような、凡庸な修辞とはねじれの位置にある。凡庸だからといってそれを尊重しないとは言わない。でも「永遠」はない。永遠はなく、硬く強い持続がある。何も吹き込まれていないカセットテープが再生されているときの、その音、中断された会話のなかにある、その音、それを聞こうと思う気持ちが文章を読むことであり、書くことなのだろう。「行間」みたいなことを語っているつもりもない。わかるひとにだけわかればいいと思っているつもりもない。常にみんなわかれと思っている。

 

 さいきん土曜や日曜の宵の口に、夜の散歩をかねて近所の温泉に出かけることが好きで、日記にもそれらに行った記録が何度か残っているけどうちの近所には温泉(銭湯)がふたつある。うちの南と東に。八月の終わりに書いた日記に書き忘れたことがひとつあってそれは、うちの東にある温泉に昼間行ったときのことだった。東の温泉は食事処や家族風呂やマッサージ室などが設けられていて充実した施設だ。露天風呂に大画面のテレビが取り付けてあったりする。数ヶ月前に、お風呂に入ったあと食事処でビールやたこ焼きを飲食したのが楽しくて、その日もそうしたいと思って入浴券を買った。浴場までの道に食事処・休憩スペースがあってずいぶんごったがえしていた。ただ混んでいるというわけではなく、そこのスペースでイベントをやっていたみたいだ。「やっちまったな!」で有名な芸人さんが訪れていて、とても広いとは言えないその空間はたくさんの笑いに包まれていた。スタッフの着ているシャツや立てられているのぼりの色合いやデザインに既視感があって、すぐに、ああこれは24時間テレビのチャリティイベントなんだなと気づいた。テレビが放映されるだけではなくてあれは、日本全国でトークショーであったり募金などをしますでしょう。私の地元でも毎年、県でゆいいつの遊園地で近所の中高生たちが募金のブースを開いている様子が中継されていたように思う。そっかぁたしかに24時間テレビっていまくらいの時期かあ、と思って脱衣所に入った。芸人さんのイベントは終わりかけていたので、湯船につかっているあいだに食事処が空くといいなあと思った。露天風呂の大きなテレビにはもちろん24時間テレビが映っていた。

 風呂から出るとイベントは終わっていたが、おそらくそのまま残った人が多いのだろう。席がうまいこと空いていなくてけっきょく私はそこで食事できなかった。帰り道にふと思い出したことがあった。大学3年生の同じ時期、ふがふがと起き出したらその人が、ソファーに小さく座ってテレビをつけて観ていた。24時間テレビだった。午前中の時間帯で、芸能人のマラソンやドラマではないコーナーが映されていたと思う。着替えたり顔を洗ったりもぞもぞと動き出しながら私はその人に、「そんなの観て、面白いの?」と斜に構えた感じで訊いた。24時間テレビに対しては、思春期以来、偽善と虚偽にあふれた悪のコンテンツだと思っていてそのままだった。その人は「面白いよ」と言った。その人があまりにも真剣にテレビを観ているので私もいっしょに観た、でもその内容を少しも覚えていないからきっと、そのあまりにも真剣な横顔のほうを多く見ていたのだろう。24時間テレビをあんなに真面目に観る人を初めて見た、こういう人のことを好きになるのは初めてだな、と思った。だから特別だった。昼どきになる前に、私はその人を自分の家から駅まで送っていって、それからなにもない。数年前からその人のラインのアイコンは赤ちゃんの画像になっている。

 偽善と虚偽に固められているとしても、何か直感的に「嫌だ」とか「臭い」と感じるようなものが漂っているとしても、画面の向こうの誰かははっきりと存在していて、何かに苦労したり何かを達成したりしようとしている。そんな当たり前のことをまるで新鮮なことのように気付かされましたってそれは、とんでもなく失礼で馬鹿なことだけどそれを、その人から直接言われたわけじゃなくてよかったんだろうなと思う。ひねくれた自分がいて、何かきっかけがあってそれで、素直な自分に変わったみたいな、「何かに気づいた」みたいな、生活はきっとそんなふうに物語みたいになりすぎてはいけないんだと思う。だから私がその人のことをいまでも覚えているのは、たとえば感謝をいだくとすればそれは、ただテレビを真面目な顔で見ていたその画が私のなかで音のない部屋のように残っていることで、いまこんな文章になっている。これはきっと随筆でもない。けっきょく私はなんらかの変化や教訓を書きたいわけではないんだなと気づいたそのときに私は自分が文章を書く理由めいたものを手に入れる。しかし「理由」は物語だ。だからほんとうは理由もいらない。

 物語といえば、私は夏の始まりに「「涙が勝手に流れてきた」みたいな表現が嫌だ」みたいなことを書いた。そんなふうに自分の生活を書き表すことがもっとも自分を物語化しているみたいで抵抗があるという内容だったと思う。前の段落をひきついで言えば、「理由があって何かをする」ことを語ることが物語の類型だとすれば「理由がないのに泣けてくる」ことを語ることもまた類型だということだ。誰にも賛成も反対もされなかった。意味不明だったからだろう。ただ、ふと自分が好きな文章を振り返ってみれば、新見南吉の「花のき村と盗人たち」におけるもっとも重要な場面では「涙が勝手に流れてくる」ことが語られており、そういえば、とおどろいた。盗人のかしらは社会のなかでつまはじきされている自分が子どもに子牛を勝手に預けられたことをおかしく思い、「あんまり笑ったんで涙が出て」きたのだった。

「くッくッくッ。」
とかしらは、いがからこみあげてくるのが、とまりませんでした。
「これで弟子たちに自慢ができるて。きさまたちが馬鹿づらさげて、をあるいているあいだに、わしはもうをいっぴきんだ、といって。」
 そしてまた、くッくッくッといました。あんまりったので、こんどはました。
「ああ、おかしい。あんまりったんでやがった。」
 ところが、そのが、れてれてとまらないのでありました。
「いや、はや、これはどうしたことだい、わしがすなんて、これじゃ、まるでいてるのとじじゃないか。」

引用しながら再読してみて私が好きだな、と思うところは「涙を流す」ことと「泣いている」ことを書き手が区別しているその繊細さである。そしてそのことが語り部ではなくかしらの声で伝えられることだ。もしかすると、かしらは「自分は泣いていいのかもしれない」と思いながら、その思いの中で泣いたのだった。その思いが、「これじゃ、まるで泣いてるのと同じじゃないか」という自己説明的なつぶやきに言語化されているように感じるのである。「まるで」という修辞は重い。だから、この一節はぜったいに語り部ではなくかしらの声のなかに置かれていなければならない。

そうです。ほんとうに、盗人のかしらはいていたのであります。――かしらはしかったのです。じぶんはまで、からたいでばかりられてました。じぶんがると、人々はそらなやつがたといわんばかりに、をしめたり、すだれをおろしたりしました。じぶんがをかけると、いながらしあっていたたちも、きゅうに仕事のことをしたようにこうをむいてしまうのでありました。にうかんでいるでさえも、じぶんがつと、がばッとをひるがえしてしずんでいくのでありました。あるとき猿廻しの背中われているに、をくれてやったら、一口もたべずにべたにすててしまいました。みんながじぶんをっていたのです。みんながじぶんを信用してはくれなかったのです。ところが、この草鞋をはいた子供は、盗人であるじぶんにをあずけてくれました。じぶんをいい人間であるとってくれたのでした。またこの仔牛も、じぶんをちっともいやがらず、おとなしくしております。じぶんが母牛ででもあるかのように、そばにすりよっています。子供仔牛も、じぶんを信用しているのです。こんなことは、盗人のじぶんには、はじめてのことであります。信用されるというのは、といううれしいことでありましょう。……

教育的には、つづくこの記述にはかしらが泣いた「理由」が書かれているように捉えなければいけないわけだが、かならずしもそのように文章の或る箇所の役割を固定しなければいけないわけではもちろんない。私は、「これじゃ、まるで泣いてるのと同じじゃないか」という「自己説明」の展開図のように思える、それが語り部の声で語られることで物語の支柱になる「理由」として読まれうるというだけだ。物語はこうした小さな仕掛けのうえに成り立っている。ちなみに、かしらが鯉や猿からも嫌われていたという(悲しい)ユーモアは私が大好きな箇所であって、「悲しみ」はそう書かれたほうがいいのではないかと思うし、私はツイッターでもブログでも、他人の文章にそのようなものを見つけるとすごくいいなと感じる。鯉や猿からも嫌われているというのは、ある意味ではおかしいことだし、ある意味ではとても絶望的なことなのだから、このくだりにはきわめて重大なことが書かれているのだ。

 

 牽強付会と言われても仕方ないが、おそらく私はけっきょく、この一連の場面を単に「涙が勝手に流れてきた」場面とはみなすことができない。裏返せば、私のなかには世の中の文章に対する「単に「涙が勝手に流れてきた」ことなんてあるんですか」という子どもじみた苛立ちがあるのかもしれない、それが創作ではなく日常的な現実を取り込んだ文章であればなおさらなのかもしれない。ちなみに、そのときの日記にも書き忘れたことだが、私は「思考と感情」のような二項対立における前者を優先しなければいけないと思っているわけではけっしてない。そのふたつは常に重なり合っているわけで、むしろ二項対立を無意識に採用しているような表現のありかたに引っかかっている。

 

 半年以上前、随筆をめぐる座談会で「LINEでポエムを送ってもいいじゃないか」という発言があり、多くの人に支持されたように思う。私もいい意見だな、と思ったが少し変型させてみると、私たち(あえて主語を大きくしよう)の日常的なコミュニケーション、または、文章表現に物足りないのは、どんくさい自己説明的なつぶやきなのかもしれない。「これじゃ、まるで泣いてるのと同じじゃないか」これである。自己言及性はきわめて散文に特権的な性質である。私たちはそれを日常のなかであまり楽しんでいない。私は私に、ツイッターやLINEでポエムを送らせてほしいと思うし、なにより、「散文」をやらせてほしい。私は、好きな人の「散文」を受け取りたい。自分を物語化してバズらせることよりも、「私は泣いていいんだ」という言葉に込められた複雑さに信を置きたい。

 

 秋が始まっていく。時節的なことを少し書いておくと、私は「しょうじょう寺のたぬき」という童謡が、なぜかとても好きだ。わけあってちょっとした愛着があると言ってもいいだろう。「つん、つん、月夜だ、みんな出てこいこいこい」というやつである。それにつづく「おいらのともだち ぽんぽこぽんの ぽんぽん」という詩がとても好きで、「ぽんぽこぽん」が「おいら」のおなかの音なのか「ともだち」のおなかの音なのかわからないことが好きだ。そこにはお月様のしたであなたと出会ったうれしさとよろこびがある。これはたぬきの自己説明ではないか? 理由もなく涙が流れることもなければ、理由もなくおなかを鳴らすこともない。九月ももう終わり。あの夏に聴いた歌がないわけではないけれど、新しい歌を聴きながらその隙間に、だれかの、沈黙にも等しいような腹鼓に耳をすませるような夜長があったっていい。