2022年の振り返り〜「ODD ZINE vol. 9」「ODD ZINE vol. 7」「ODD ZINE vol. 3」太田靖久『ののの』太田靖久・友田とん『ふたりのアフタースクール』

 2022年をふりかえるに、5月か6月ごろに原稿依頼を受けたことが大きかったと思う。新しい文芸誌が創刊されるということで、はじめは短い小説かエッセイでも、というトーンだったが、話を聞いているうちに分量や内容はある程度自由にやってもいいのかもしれないと判断した。私は短めの文章ではなく、一般的に文芸誌に載るような短編(原稿用紙80-120枚ほど)を書こうと考えた。とても貴重な機会に思えた。がしかし、締め切りは遠かったし、夏にやらなければいけないことがあまりにも多かったので、「私はいちおう小説家」という気持ちがふたたび芽生えつつも、芽生えただけで、育たなかった。うれしかったのは、今回の依頼は研究者としての自分も見てくれたうえでの依頼だった。研究をがんばれば小説につながるかもしれないし、小説をがんばれば研究につながるかもしれないというのは、ある意味理想的だ。二足のわらじをあまり肯定的に捉えない人はもちろん多い。私自身もどちらか脱いでしまおうと思うときはたくさんある。ただ今回は、二足のわらじで歩くことができた道だった。

 夏休みに入って、「私はいちおう小説家」という気持ちの芽に水を注いだきっかけは、小説家の太田靖久さんが企画した「ODD ZINE vol. 9」という展示だった。短い原稿を募り、それを神楽坂の「かもめブックス」の一画の壁面に並べて披露するという趣旨だった。ちなみに私は太田さんの名前はもちろん知っていた。彼は2010年にデビューしているが、これは私が上京した年と同じ。つまり、太田さんは、私が上京して「物書き」の将来を意識し始めた(「文芸誌」や「新人賞」という存在を知り始めた)ころに世に出た人だからだ。このあたり(10年代前半)に賞をとった人たちのラインナップは、私にとってとても懐かしい。私も誰かにとって懐かしい存在になっていると思う。当時は「太宰治賞」の選評(オンラインで掲載されていた)を読んだり、絲山秋子さんのホームページを読むのが好きだった。さて、「ODD ZINE」の存在は、なんとなく知っていた。しかし自分でも参加できる媒体とは思っていなかった。私は「文芸部」的な場所や「同人誌」の経験であったり「物書きの知り合い」さえ一切もたないまま年齢を積み重ねてしまったので、作家同士が集まってあれこれやることは、そもそも違う世界のことだと捉えていた。

 ご存知の通りツイッターはだいぶ前からフォローしていない人の発言もいろんなきっかけで流れるようになった。「ODD ZINEの締め切りが伸びたから私もがんばって書いてみよう」という誰かのツイートが流れてきて、少し興味がわいた。数ヶ月前に原稿依頼をもらっていたことが、興味のわいた理由だと思う。まとまった長さのある作品を本格的に書く前に、勘を取り戻すというか、ウォーミングアップになると思った。そして「私はまだここにいます」という信号を出したい気持ちがなかったわけではない。それから、ずっと前からその研究やSNSの発言を拝読している高村峰生さんという方がいる。高村さんが徳島新聞阿波しらさぎ文学賞に応募し、候補に残ったと報告していて、私はとても刺激を受けた。研究者が論文の採用や学会発表の参加を報告することはよくあることだが、このような発言はほとんど見られないから、とても目に残った。そしてその経験を明るく有意義に語られていて、やはり私もやりたいことを自由にやろうという気持ちが大きくなった。高村さんは、このたびの挑戦は千葉雅也さんが小説を書き始めたことに刺激を受けて、と書かれていた(と思う)。千葉さんもきっと研究と創作が同体になっている人だろうから、いまや日本有数の哲学者・作家のバイタリティが私のような末端の人間に降りてくるというのは、すごいことだなと感じる。傲慢にも言ってみるならば、これはネットワークだ。

 「ODD ZINE vol. 9」に応募するにあたって、私は「ODD ZINE vol. 7」を読んだ。物書きのメモを収録した内容である。私がいちばん面白いと感じたのは唯一批評家として寄稿している川口好美さんの見開きだった。ここには『ダブリン市民』の翻訳にかかわるメモとノートが写されている。特に訳語のびっしり書き込まれたテクストの原文の転写を興味深く読んだ。自分が研究のために書き込む行為と違う感じがしたからだ。そこにキャプション的に添えられた数行の文章も好きで、川口さんは「(引用をし、批評を始めると)首とかが痛くなる」と書いている。これは引用した対象を突き放し、批判し、ある意味で痛めつける経験が、自分に返ってくるということの身体的な報告だ。そもそも「引用」とは必ず「他人の本」から「自分の紙」という往還が必要で、ディスプレイ上であっても実際の机上であっても体のどこかに負担がかかる。たしかに「引用」は椅子にじっと座っていても必ず体を使うので、文字通りに指や首や肩が痛くなることがしばしばだ。とてもいい文章だと思った。

 9月上旬、「ODD ZINE vol. 9展」に足を運び、太田さんに「小学校で作文とか絵を飾ってもらったことを思い出します」と話した。失礼かな、とすぐに思ったが、もちろん悪い意味で言ったわけではない。むしろ、何かを作って人に見てもらうことの嬉しさの、原体験みたいだなと思った。再スタートにはうってつけの形式だっただろう。ただし、「かもめブックス」では太田さんとあれこれ話すことで手一杯となり、作品をじっくり読むことはできなかった。その後、コロナが流行ってから初めて実家に帰ることができ、その十日間ほどの期間で「ODD ZINE」の感想や「たんぽぽのこく」の初稿を書いた。

 「ODD ZINE vol. 9」の感想は太田さんのnoteに掲載してもらった(こちら)。「ネットで何かの感想を書く」「文芸作品の感想を書く」ことじたいが、とんとごぶさたというか、ほとんど初めてみたいなものだったので、自分のトーンが適切なのかわからなかった。掲載してもらってから読み返すとすぐに、なんか失礼だな、とか、もう少し相手がうなずけることを書かなければいけないのでは、と思った。たとえば笛宮ヱリ子さんの「私と、≪特≫と。」に対する感想はなんだかよく分からないことになっている。トリを飾る作品ということで、明らかにとくべつな雰囲気をもっているように感じ、少し気張ってしまったのだろう。簡潔に感想を言い直させてもらえるなら、この作品の冷たい感じが好きだ。ただ動物(展示のテーマ)は外気が冷たいときでも必ずどこかが温かくなるようにできている。その温かいところにも連れていってくれた。また、岸波龍さんの項において、氏の全作感想(こちらを参照しながら作品を読み、感想を書くことがとても楽しかったと書き漏れた。感想を書く理由は違う感想と出会うためだろう。

 その後、「ODD ZINE vol. 9展」で購入した太田さんの『ののの』(書肆汽水域)を読み、感想を書かせてもらった(こちら)。「虚数みたいな感覚がある」という感想を読み直して、少し恥ずかしくなった。こういう物の言い方は、理数系の心得がある人からすれば怒られたり、失笑されるたぐいのものではないかと思った。しかし私が数学的な(に)言い訳を記すことは不可能だから、正面突破したい。つまり、数学ではなく英語を専門にしているので、虚数は英語でなんて言うのか調べてみた。Imaginary numberと呼ぶそうだ。Imaginaryといえばimageだが、ふと考えてみればふしぎな言葉だ。頭の中のふんわりしたものもイメージだし、実際に触知できる図版もイメージと呼ぶ。簡単な辞書で調べてみても“Idea in mind” と “What you see” という定義が出る。だからなんだと、分析を連ねることはできないが、なんとなく腑に落ちることがある。太田さんは「あったことをなかったことにされるのが我慢ならないという気持ちで書いた」という発言を残している(こちら)。やはり、“What you see”は文章に溢れている。太田さんは小説の王道をつらぬいてデビューしたし、『ののの』は小説の王道なのではないかと、なんとなく腑に落ちている。少なくとも、「不思議な感触の作品」と言って済ませるのはもったいないということは確かだ。

 さいきん、太田さんは友田とんさんと『ふたりのアフタースクール』(双子のライオン堂出版部)を上梓した。自分の足で自分の文学を広め、きり拓く経験を対談形式で記した、きわめて重要な本である。ここで私の目に残ったのは「作家の水原涼さんに『小説で食えているか』という質問を受けたが僕の生活すべてが小説である」という太田さんの応答(正確なページを見つけたら編集します)だった。なぜなら私は『ODD ZINE vol. 3 作家になる前/作家になった後』も入手しており、このZINEのなかで特に目に残ったのは水原さんのこの質問だったからだ(作家同士が質問し合う記事がある)。ちなみに水原さんはここに収録されているエッセイで「他の文学賞に応募する作品を書いている」と記しており、非常に衝撃を受けた、フィクションかもしれないが。さて、紙面において「小説で食えているか」という問いはとても切り込んだ感じがあり、特集を引き締めていた。『アフタースクール』の話に戻すと、太田さんの言葉は或る境地や確かな手応えを示す説得力のあるものだった。とはいえいちおう水原さん側にも立ってみると、自分が水原さんだったらその応答に10割うなずくかは分からない。これは仕方ない。『アフタースクール』つまり放課後は、お互いの財布の事情が気になる時間でもある。私たちは「あれ、こいつどっから金が…」とか、「お前はいつも金欠だな…」とか思いながら放課後を過ごしていたものだ。この本でもお金の話がたまに出てきて、それを面白く読んだ。実は、もっとそれを読みたい。

 私も小説ではまったく食えていない。原稿料の一部で学費をスパッと払ったときはとても気持ちが良かったが、それも遥か昔の話だ。その後はあれこれ苦労し、今も苦労し、日々の仕事に心身を取られて研究や創作のことになかなか自分を浸せないでいる。とはいえ、今年は以上に書いてきた通り「私はいちおう小説家」という気持ちに水をあげることができた。新作「たんぽぽのこく」を掲載した文芸誌ケヤキブンガク』(こちらも無事に出版され、いい機会なので停止していたツイッターを再開した。新人賞をもらったときは実名でSNSをやって作品を宣伝するといったことはまったく考えなかった。当時からツイッターや同人誌活動・ZINE活動、ブログなどを実名で動いていたら、誰と出会い、誰と仲間になっていただろうということは少し考える。そういえばずっと昔からこの人のつぶやきを読んでるなあ、という人とFFになることは素直に嬉しい。ここまで読んでくれてありがとうございました。