館の犬

館の犬

 

 初めて新幹線ではなく車で実家に帰ってみたが、車を走らせていてもそこを歩いているようだった。紫の服を着た、たくあん色の老人が、ベランダとベビープールのあいだで、西瓜の食べかすを干していて、ランニングシャツを着た、ほくろだらけの老人が、犬を散歩させていた。糞を拾おうとしている。その人の、浮いた乳首や丸く豊かな腹部に、毛並みのわるい小麦色の犬が、鼻をぶんぶんと突き出していて、この風景が静かに動いている。商店街の店々がシャッターを下ろす音とすれ違うと、それが蝉の一日の終わりのようだ。さっきの犬は、もう疲れているのだ。

 茶の間で、年の離れた弟が、もう二二にもなるのに、母親からこれを手伝えあれはどうなったと言葉を投げられても、あん、ぬむ、にゃ、などとしか受け答えしないから、私は呆れていた。冷房の効いた部屋で、彼は寝転がって携帯電話をさわるばかりである。母親の矛先が私に向かって、夕飯のお使いを頼まれたとき私が、

「はい」

と言ったので、弟は改めておどろいたらしい。晩酌しているときに、弟が母に、それにしてもなんでこの人は前々からこんなに従順なのかと訊いた。従順という言葉には、私も母も少し違和感があったが、母は弟が生まれる前の、昔の話をした。あの頃はとても厳しい祖父、よくもわるくも家父長制の化身みたいな人がまだ生きていて、私は七つのとき、祖父に倉庫に閉じこめられた。それがきっと大人しくなったきっかけだったろうと、母は話の同じところでぐるぐる回って黄色い舌を焼酎グラスにすえる。倉庫は取り壊されて、どんな場所だったかあまり思い出せない。

 倉庫の中は段ボールや古い自転車の匂いがした。目が慣れると昔の家電製品のポスターとか看板が目に入った。角張った古い字を読めた。オード、テキン、アルカリ、ナショナル。尻が濡れているのかと思って何度も地べたをさわった。そうではなかった。ただ冷たいだけだった。そのひんやりした感じが下半身になじむと、私はそこではじめて安心したのだ。ズボンと下着を脱いで、直に尻を地べたにふれさせた。早く出してくれと泣き叫んでいたのに、いまは誰にも来てほしくなかった、誰にも見られたくなかった。たぶん私はそのとき笑っていた。古い自転車のペダルが削れていたのでその表面をさわりたかった。

 そんなふうに私のなかに余裕がでてきたのは、その倉庫がスーパー鈴井の裏のプレハブ小屋とは違っていたからだ。閉じこめられても自分の家なのだ。よく見回してみれば去年の売り出しのときに立てていたノボリもあるではないか。あのプレハブ小屋はとても背が高く屋根に傾斜があった。甘辛い味まで舌の裏についてきそうな獣の匂いと、みずみずしい糞と、それが乾くとどのように哀れっぽくなるか、人に手入れされていない犬の表面の荒々しさ、私はいろいろとその小屋で学んだ。人に手入れされていない建物は、その面積以上に広く感じることも、その小屋で知った。当時はそこをプレハブ小屋ではなく館と呼んでいたと思う。地べたは泥土と糞尿が混ざり合ってかどろどろしており、建物の中では、そこに立ちこめる熱い空気の底に黒い沼が広がっているようだった。館の天井は暗くて高く、どのように進めば上部に行けるのかわからない、目に見えている犬の他にも親玉の獣が隠れているのではないかと思わせる。しかし足を踏み入れたら取り返しのつかないほど汚れてしまうのではないかという直感が子供にはあり、わずかに陽の差す入り口の辺りにしか、しゃがみこんだことはない。小屋の入り口に犬が三匹ほど繋がれていて、他の犬は首輪もないままに一帯をたむろし、館を行き来していた。ほとんどの犬はずいぶん疲れていたから、私の遊び相手になるのはいつもきまった、小柄な、一匹か二匹だった。

 ある日にもその一匹か二匹(何か適当な名前をつけていただろうが覚えていない)に餌をあげるなりしていたら、そこに少し大柄なやつが割り込んできた。この子もとうもろこしがほしいのだろうか? 犬はずっしり腫れ上がった赤黒い陰茎を私と幼馴染のみいなちゃんに見せてきた。先端には白いものが木工ボンドの粒のようについていた覚えがある。犬はずいぶん困った様子で、みいなちゃんは、うへへ、うへへ、と笑っていた。伸びたり縮んだりして、そのうち切れて、赤い汁が垂れるのだと考えた。みいなちゃんは、おじいちゃんに訊いてくると言ってくれて、しかしその日はそこで別れてしまった。次の日に、みいなちゃんが言うに、あの犬は緊張していたのである。私は納得した。館の犬に会いに行ったが、彼は張り詰めたものをすっかり仕舞って、もうずいぶんと落ちこんでいた。そして元気な子犬たちを尻目に、いつものように館の中へ消えていったのだ。

 だから、私は、あの館に比べればと思えば、倉庫に閉じ込められることは怖くなかったのである。あのころ、祖母によく傷んだ性器を診てもらった。ちゃんと清潔にしているつもりなのに、汚くするなといつも注意されて困った。ずいぶんむごいものがあるのだと思った。祖母は家族の中で唯一しくしくと泣ける人だった。私が六歳のとき、祖父が文字通り食卓をひっくり返したときは、祖母は、それはもう背中から泣いているような様子になって、私に「謝りなさい」と震えた声で諭したものだった。その祖母が、飯も与えられていない私を案じて、倉庫に近づいてくる! 祖母は泣いているだろうかと思うと、私は落ちこんで反省したのである。このひんやりした倉庫の床に尻をつけていると気持ちが良いけれど、祖母の気配を感じたらすぐにズボンを上げなければいけない。なんだか緊張してきて、私はいよいよ今までの自分を悔い改めなければいけないと強く感じたのである。

 

初出:ODD ZINE Vol. 9