学年はないけど春

 ブログを始めたのは届けるためだった。提出するため。太田靖久さんの『ののの』の感想が夏休みの宿題のようで、わかしょ文庫さんの『うろん紀行』が冬休みの宿題のようで、友田とんさんの『『百年の孤独』を代わりに読む』の感想が春休みの宿題のようだった。すべて無事に提出することができ、本の書き手とその読者のもとにちゃんと届いたであろうと信じる。もうすぐ春がくる。この前髪を切ってもらったときに「ンまぁさいきんは毎年毎年おんなじで、どこで切っても金太郎飴みたいですからね」と言ったことを思い出す。私に学年はもう付いていない。

 人が書いたものについて自分の言葉を積み立てることは、(当初の予定からすると)ほとんど終わりが近づいてきた。私は先週の火曜か水曜に掌編小説を1つブログに投稿し、今週は2/20(月)から2/24(金)まで連続で2000字〜5000字の小説を発表してみた。過去のストックやボツ作品ではありません。布団の中や散歩道で「こうなって......、ああなって......、こう!」くらいの粗さで書きたいことを考えて、あとはキーボードを叩きながら2、3時間で書きながらまとめていくのです。こんなに毎日猛烈に何かを発信したのはインターネットに動物的な刺激を得ていた10代のころ以来ではないか(そして、今もまた動物的な刺激に淫していないか気をつけなければいけない)。ブログにちょろんと発表し、その後放置していたら誰かが勝手に読んでくれていて、気がついたら好評を博していた、ということが起きるとはあまり思っていない。つまり、書きました!と看板を出したときに、どれくらいの人が偶然に自分の書きものに労力を使ってくれるかが大事だ。ほとんど運頼り。魚釣りみたいな気持ち。私はフォロワーが300人くらいで、そのうちきっと100人くらいが頻繁にタイムラインを開いていて、そのうち30人くらいが私のブログ更新に気付いてくれて、さらにそのうちの5人か3人くらいが私の小説を上から下まで読んでくれるかもしれない、その3人のために書く。それは私にとってはぜんぜんできることで、裏返せば読んでくれる人が1人もいなくても、何か創る人は自分で創ったものをひとりで眺めて満足できるくらいのどうしようもなさがないと続けられない、というのも少し余裕があるときの考え方か。個人的には「眺める棚」というのが必要で、それは人によっては本当に原稿用紙とか大学ノートで十分なのだろうが、私のような平成生まれにとってそれは、公開を前提としたブログということになるか。

 ちなみにフォロワーの方がたまにRTしてくれるが、その拡散によってまったく見ず知らずの人が「あなたは面白い!握手しましょう」みたいな都合のいいことは、今のところ起こっていない。RTしてくれる人に申し訳ないのでそのうち起こってほしいと思う。フォロワーの中には、たまにそういう反応をくださる方がいて、本当にありがたいと思います。自分の文章の読者を地道に増やしていきたいと思います。5つの短編はどれも趣きの違ったものを書いてきたので、気に入るものが見つかるかもしれません。

 小説を人に読んでもらうことはすごく大変だ。血の滲むような書き直しを経て雑誌に載せてもらっても、何も起こらず一ヶ月(掲載期間)が過ぎていくという経験を何度かしてきた。こんなにも他人から反応を引き出すことは難しいのかと思い知ったものだ。その衝撃によって数年間(泡を噴いて)気絶していたが、さいきん目が覚めた。「なんかむかし新人賞とったっぽいツイッターでなんかだらだらつぶやいてる人」ではなく、「昨年末から異様にブログを更新している無名の気持ち悪い人」として認知されれば幸いである。というか、「なんかむかし新人賞とったっぽいツイッターでなんかだらだらつぶやいてる人」とだけ見られることはかなりまずいなと思っているので、せめて「昨年末から異様にブログを更新している無名の気持ち悪い人」として認知されたい。こういう弱音系の記述はそのうち消す。

 ちなみにブログという形にはまったくこだわっておらず、同人誌やZINE作りという世界に少しずつ関心が向きつつも、まだ腰が上がりきっていない状態、というのが現状分析だ。誰かを誘って何かやってみたい、ということを考えつつも、億してしまうし、かといって、誰かに何か誘われることも特にない。とりあえず名刺のようなものは作るといいのでしょうね。こういう「匂わせ」みたいなこともツイッターに書いてしまうとぜんぜん意味が変わってしまうので、ブログを持っておくことはやはりいいことだなと思う。何かやろうぜ、という人はご連絡ください。

 

 ずいぶんむかし、2010年の冬から2011年の秋くらいまで匿名でツイッターをやっていた。匿名なのでそれなりの「キャラ」を被っていたが、だんだんとネタツイートじみたものを投稿するのではなく、「キャラ」を脱ぎ、破り捨てて、毎日毎日「小説書いています!読んでください!」と叫ぶだけのアカウントになってしまった。思ったより読んでもいいよと言ってくれた人は多くて、10人くらいに数千字の短編をまとめたzipファイルを送った。ただそのあと感想をくれた人はそのうちたしか1、2人だけで、とてもリアルな数字を感じ取った(でももらった感想はとても丁寧だった)。10年前の自分は物書きの強烈な自我がSNS上で芽吹くまで12ヶ月以上かかったわけだが、今の自分は2ヶ月ほどですぐに「小説書いてます!読んでください!」の状態になった。ところで当時の私はその後、ツイッターに飽きてアルバイトだの部活だのサークルだのに還っていったわけだが、32歳のこの私はここからどこに消えていくのだろう。

 

風景や出来事や食べ物、草花を書かないと日記でも随筆でも評論でもなく、「本当にただただブログを書いてしまった」という感じが強くて、焦る。ちょこっと書いておこう。

梅が咲いたのを昨日みた。ピータンとビールは合う。

学年はないけど春。