情熱

 

 

 なんで野球部の応援だけ全校で行くん、と教室の誰かが陰口でもないふうに言って、三日後に地区予選の初戦を迎える坊主頭たちは、そんなこと知ったこっちゃない様子で白いポロシャツと黒い腕のコントラストを他の生徒たちに見せつけている、ように見えるだろうが、おれはまったくその通りだと思うよ、というか坊主頭っておれだけだった、というかおれは吹奏楽部だったわ。

 家に、だいぶ年の離れた兄貴の卒業アルバムがあって、それは中学校のものだが、そのころは野球部じゃなくても男子は全員坊主頭で、女子は全員おかっぱ頭だった、肩に髪が届いている人なんてひとりもいない。ちょっと年の離れた姉貴のころは、野球部だったらみんな坊主だったって、おれの学校、おれの年代だったらべつにそうじゃない、短髪ならともかく五分刈りって学校におれだけだ、道を歩いている猫のふわふわを触るみたいにどいつもこいつも、おれのじょりじょりを触りに来るってわけだった。

 おーい、ごりえきだぞ、と言ってショートの村田とセカンドの山下が他の野球部の連中を、突っ伏して寝ているふりをしているおれの元へ呼んだ、ごりやくって言うんだよそれは。どうでもいいさ、べたべた触られても意に介さないおれの寝たふりが、野球部のやつらにウケてる、こんなことでウケても仕方ないんだ、がばりとおおげさに起き上がってみせると、やっこさんたち、なんだよシラけてしまうな、という様子だった、もっとシラけるべき瞬間というものが人生にはあるはずだ。

 吹奏楽部は野球部の試合についていって応援の演奏をする、頭を丸めたら応援団の男に、おう、気合い入ってるなと言われたけどこれは気合いじゃない、まるで気が抜けてるんだ、どうして毎朝そんなに髪をびしりとセットして登校できるのかおれにはわからないよ、おれが坊主にした理由は、強いて言えばみっちゃんへの誠意だった、先生たちは、何か悪いことでもしたのかいって話しかけてくれるが、そういうこともないんだ、悪いことなんか考えたこともなかった、悪について考えることはよくある、みっちゃんが学校に来られなくなった原因は、名前のある誰かが考えた悪いことのせいではなくて、誰かと誰かのあいだにある、名前のないところから出てきた悪だろう。

 そういうことを共に議論していけるだろうか、と思える人間は世界史の大山先生だ、なぜなら先生は権力ってものをおれに教えてくれた、これって高校じゃなくて大学とかで習うものらしい、たとえば、部活の顧問が部員にむちゃな練習させるとか暴力をふるったりするというのは狭い意味での権力でしかないって、権力はぜったいに見えないし誰かの「立場」や「性格」に収まっているものではないのだけれど、見えないからこそ権力は権力として働くのだ、ってそれ、おれが考えている、みっちゃんに対する悪と同じだった。社会科準備室に遊びに行ったら大山先生がおれの頭を見て、すっきりしたな、と言った、髪の毛くらいしかすっきりできるものがないから困ってる、さておれは、なんとなく兄貴の卒業アルバムの話をした、若い大山先生からすれば、少し上の世代の話ということになるか、おれは、「おれはこういう時代のほうがいろいろとすっきりしていていいな」と訴えた。大山先生は「私はそうは思わない」と、重い扉をなんなく押し開けているような調子で言った。

 おれはおれなりに、おれに見えている先生とは違う世界からものを言おうとしたが、それはなかなかむずかしい、大人が相手だとごまかしが効かないからだ、大人というか、知識を持っている人に対して、自分のいつも歩いている道を描いた風景画にどういう絵の具や筆が使われているかとか、絵のどのへんに色のかさぶたができているのか説明するのは面倒というか、なんというか。とにかくおれの見方では、人間というのはいつからか知識を身につけている人といつまでも風景画を背負っている人に分かれる。

 だからおれもそのうち、そっち側の人間になるのかな。

 その日の午後の世界史では、大山先生が第二次世界大戦のときのドイツの話をした、資料集に頭を丸めた人たちが連行されていく写真が載っていた、こうして見ていても見えてこないおれにとって違う世界だ、そういうことを正直に伝えていたら先生はおれのことを気に入ってくれたようだった、「知識」というのは分からないものだ。

 そっち側とこっち側に分ける、分けるというのは砂と石を分けるようなもので意味も終わりも方法も何もない、ただそれでは終わらない、終わりがないから終わらない、当たり前のような話に聞こえるけどじゃあ「終わりにする」となれば必ず考え方に工夫が要る、石のほうが大きくて目立つので取っておくか捨ててしまおう、あるいは砂に適当に色をつけてその中でさらに選り分けた、そういうことが行われていたって先生は言っていた、いまでも行われているという言葉が付け足される、だから先生が教えていることは歴史じゃなくて理論だ、それも先生が付け足した。理論という響きにはとても知識があった。

 おれはみっちゃんみたいに歴史ってものを知らない、しかしみっちゃんは地理選択だったな、いや、そんなことは関係ない知識の話だ、みっちゃんは自分の知識でおれたちの日常的な世界に抗おうとしていた、生徒会執行部員が正門の前で「あいさつ活動」している隣、みっちゃんはパレスチナの反戦を訴えていたんだ、去年の夏から秋のことさ、ということはみっちゃんはイスラエルに抗っていたということだ、まあ、そのくらいならおれにも分かる、ところがみっちゃんが学校からいなくなってからのおれの実感ときたらどうだ、みっちゃんが抗っていたのはおれたちの日常的な世界じゃなかったか、もしくはみっちゃん自身の日常ということになろうか、「おれたち」の中にみっちゃんが入るかどうかはみっちゃん自身が決めてくれればいい、そういうことをしゃべる機会も今ではなくなってしまった。権力が権力という看板を下げてうろつかないように、「無関心」だって無関心というプラカードを掲げては歩かなかった。ともあれ、おれたちの目に見えていたのは生徒会の腕章とみっちゃんの自作した反戦ボードだ。

 たとえば、毎年応援に駆り出される吹奏楽部の面々というのは、態度に表さなくても野球部の試合に対して無関心だ、しかし中には、ちょっとだけしみでている人もいる。

 おれは部活の終わりに、野球部の男に振られてダウナーになっているトロンボーンのミユや、運動部全体にルサンチマンをいだいているらしいファゴットのヨシキに声をかけた。

 

 おれ、みっちゃんに謝りたいことがあったんだが、それを言えないでいる。みっちゃんは二年生の冬から学校に来なくなってしまったのだ、もとから授業をサボりがちだったから最初は気にしていなかったんだが、気がつくと一週間、二週間と学校にいないままだった。みっちゃんのことだから、何か危険な橋でも渡って停学処分をくらってるのかもしれない、かと思うと、みっちゃん自身が自主的に学校から遠ざかっているというのが定説となっていた、みっちゃんは学校の風紀を乱すことをしたために、このままでは卒業させないと脅されているといううわさがあった、イスラエルと繋がっているアメリカの大学の話ではあるまいし、そんなことあるか、と、おれは思うのだけれど、国際ニュースに詳しい同級生がそういう作り話を撒いたのかもしれない。おれは大山先生にあれこれ訊ねてみるが、機密条項めいたものがあるらしく、うんともすんとも言わない、思い返してみれば、大山先生はみっちゃんのしたことを褒めもしなければ責めもしなかった、めちゃくちゃ権力を感じたけど、そうであるならばこそ、先生の胸ぐらをつかんだって仕方がない。しかし、権力理論はおれたちに仕方ないって言わせるためにあるわけじゃないと思うが、きっとおれは知識不足だ。

 おれは帰り道、電車の車窓から見える真っ赤で埃っぽい町角の画を浴びて妄想する。がれきの街で血だらけになった死にかけの大山先生がおれに言うんだ、「知識はひとまずどうでもいい、生き延びるために知恵を身に付けるんだ、知識と知恵は違う」おれはそんなふうに考えて知識不足の自分を正当化するのさ、理論は知恵に含まれるだろう、理論って要するに方法だ、テントを組み立てる方法や連射銃を整備する方法とかと同じようなものだ、おれはいろんな理論を編み出して生き延びていこう。そしてもう一度爆撃が襲ってきて、大山先生はこときれるのだった。

 電車が地下道に入って、目の前におれの坊主頭とニキビ面が映った。たぶん現実だったら、死んでいるのはおれのほうだわ。

 というかおれは、爆撃するほうだったわ。

 ほんとうにそうかもしれないんだ、それくらいおれだって考えるさ。

 自分の町に降りて、みっちゃんの家を通りかかった、みっちゃんとは中三からの親友のつもりだった、おれ、みっちゃんから教えてもらえる漫画や音楽が楽しみで仕方ない、そのやりとりも最近はできないから、おれ、家でいっしょうけんめいショスタコーヴィッチの第5番を聴いているよ、みっちゃんから最後に貸してもらったCDだ、借りっぱなしになっているわけで、吹奏楽部に入っているくせに、やはり鑑賞としてのクラシック音楽は慣れないよ。そういうことをいつものように言っていればよかったんだ、おれは、反戦ボードを掲げているみっちゃんにある日、正門の前で言った、「みっちゃんの情熱がやばい」それからもう口をきいてくれないのだった。

 もちろん揶揄や冷笑、皮肉でもなければ、尊敬や賛美、憧憬というわけでもない、よく知らないことについて、表面的な活動だけを見て褒めるのはよくない、そのくらいはおれにも分かる、ふと口をついて出た言葉なのだ、とにかく、みっちゃんの気に障ったらしくて、もうみっちゃんはおれに口をきいてくれないのだ、みっちゃんが学校に来なくなったのはそれからまもなくだ、そのときからおれは、自分の口にした情熱という言葉を毎日突きつけられた、おれはおれで、自慢じゃないが、おれなりにいつでも情熱のある毎日だった、サブカル愛好家でおれくらいしか学校で話す相手のいないみっちゃんは、昔っからあんまりそうではないように見えていた、おれにそう見えていただけだ、みっちゃんに見えているおれとは違う世界が当然あったのだと、仲違いした現在ではそう思えた、あのとき反戦活動をしていたみっちゃんの姿は情熱的に目に映った、そう見えても口に出してはいけなかったのだ。帰宅したおれは自分の部屋で適当な大学ノートを開いた。「みっちゃんへ……

 おれはおれの情熱をよく振り返るようになった、十八歳の太く短い情熱だ、とはいえ色恋ざたに関してはからっきし、勉強だってパッとしない、やはりおれの情熱とは五歳から中三の夏まで血道をあげてやってきた野球だ、高校ではもうやめると周囲に言ったとき、あまりにも思い切りがよすぎないか、とよく言われたが、それもおれの情熱の結果だ。

 そう、あれは2022年6月20日の雲が低く垂れこんだ、誰も彼もが自信のなさそうな、濡れたティッシュの中身のような朝だった、おれはおもむろにキャプテンの田村の尻をつかんだ、強気になったもの勝ちだ、田村はおれの言葉を受け取ると、ああわかっているさ、という返事を肩パンチで伝えた、今日はホームグランドでの試合だった、もう少し大きく構えてもいいはずだ、無二の仲であるはずのセカンドの森谷とショートの中島、うちのチームの守備の要、今日は両者に会話がない、おれは間に入って相手チームの打者の性質を分析してみせた、引っ張れない球はおそらくお前の方に流してくるぞ、おれは地面に向かって言ったのだ、どっちだよ、と二人は笑ってくれた、さて、空を見上げると不透明な空の中に太陽の輪郭が見えるじゃないか、この太陽が数時間後に雲からすっぽりと抜け出て、おれたちの肉体を汗と血と涙でぐしょぐしょにするとは思いもよらなかったんだ、不透明といえば、あそこで佇んでいるのはうちのエース、ピッチャーの小田じゃないか、肩はあたたまっているのだろうか、そうだとしても心はかちこちになっているに違いない、おれは小田に相手の四番、県でも有名な大砲である村越の弱点を教えに行った、いいか、あいつは外角低めが苦手だ、だから外角の内側に攻めて低く入ったあとに高くするんだ、小田は笑いながらおれを軽く殴ったよ、どういうことだってね、あいつの好きなおれの冗談なんだ、うちの四番のほうはどうしていたかといえば、東海林はずっとスマホを見ているのだった、あいかわらず彼女とメールだ、その落ち着いた表情からすると今日も大いにバットを振ってくれるだろう、ちらりと目に入ったんだが、涙顔の絵文字をたくさん送っていたけどな、そんな姿を妬ましげに見ているのは三番サードの津田だった、おれは昨日、いつも隣で練習している女子ソフトボール部の一年が、野球部で誰がかっこいいかという話をしているのを耳にした、お前の名前も挙がっていたぞと伝えてやった、津田は発奮してグローブを磨き始めた、とてもいい調子だ、最強のナインだった、一回戦の相手が県大会出場常連の学校でも、おれたちは対等に張り合っていい試合ができると思っていた、もうすぐアップだ、そして相手チームもバスでこのグラウンドに来るだろう、おれはベンチの方へひるがえった、いままでおれたちを支えてくれた下級生の部員、その中でも体のこなし方に冴えがある福山と室と高濱がそこを温めてくれていた、先輩、今日は最後の集大成ですね、ばか、最後にはならないよ、先輩、期待してます、ああ、もちろんだ、お前ら、北中の奴らを見てちびるなよ、替えのパンツ持ってきたか、そして朝が過ぎ、両チーム整列だ、おれはスコア係、最強のナインって副キャプテンのおれを除いたこの9人のことだった、実力だから仕方がない、去年度県大会ベストエイト、強豪山形市立第二北中学校、相手に不足なし、が、しかし、2点、3点、2点とさくさく点を取られていった、おれは声が枯れるほど怒り、励まし、嘆き、また励ました、6回に入って監督の顔がとても穏やかになり、おれを含めたレギュラーではない三年生を順に代打に出していった、最後の思い出というわけだった、7回表 1対8 で迎えたこの場面、代打はおれ、ランナーはいないが起死回生のチャンス、一球見てワンスリー、振れ、どこかから聞こえたそれはおれたちの負け越してしまった情熱の声、鉄の音だ土の匂い、草の色に山の顔だ、血を噛め、三塁に向かって球が転がっていく、ただ走れ、鼻を啜れ、額を拭え、お母さん、毎日弁当ありがとう、風だ、お父さん、和菓子屋は継ぎません、汗だ、泥だらけになって、そこに存在したすべての若さに汚された一塁ベースに向かって飛び込む、巻き起こる土埃、いきおいドラマチック、余韻なく間髪入れず塁審が叫ぶ、風だ、戻ろう、ゆるやかな風だ、帰ろう、おれは気がつけば家路をたどっていた、昨日録画しておいた韓国のドラマを、夕食の支度前にお母さんが観ている、負けたよ、聞かれる前に言った、洗濯機にパンツ以外を放った、おれは縁側で洗濯が終わるのを待った、そして、黄金に光りかがやく初夏の午後五時の庭でおれは、ソックス、アンダーウェア、肌着のティーシャツ、ユニフォームを、干したのだった。

 

 そのあと、野球への情熱がひと段落したおれは、高校受験の勉強だけでは毎日が辛抱ならなかったので、クラスで浮いている雰囲気のみっちゃんに絡み出し、つげ義春とか電気グルーヴとか、これまでまったく知らなかった世界を教えてもらったのだった、同じ高校に進学することになり、部活は何をしようと相談したら、音楽をしたらいいと言われた、そしておれは吹奏楽部に入り、トランペットを始めることにした、女子が多くて経験者ばかりだった(初心者はおおかたそのうち幽霊部員になった)のは辛かったが、気がつけばまたおれは副部長になっていた。みっちゃん、おれは、気づいたよ、情熱ってこれだ。野球や吹奏楽そのものじゃない。みっちゃんに仲直りを乞おうと思って書いた手紙、その前段で上から下、表から裏まで埋まってしまった紙面、大学ノートから破りとった一片を机の灯りに透かしながらおれは言った。情熱って、情熱を込めてやっていたことを思い出して語ること、その勢いあまって、要点とは関係ないことを具体的に語ろうとすること、要点のないことがずらずらとつづくこと、変にこだわって詳細になろうとすること、そのくせあまり詳細でもなくて、ただ情熱だけがそこに残っていること、粘り強く省略しないこと、その息切れの痕跡も残っていること、自分の目に見えていたもの、体が感じていたことを丹念に描き出すこと、そのくせ自分の目に見えていなかったものも、傲慢に想像してみること、自分を含めた誰かが、そこにいたことを思い出してみること、自分がいなかったどこかで、誰かがしていたことやできなかったことまでを思い出してみること。

 そして、みっちゃん、世界で起こっていることは、たとえば戦争や虐殺は、こういう情熱をつぶすために行われているのではないだろうか。おれだって、それくらい分かるさ。みっちゃんはそれに抗うために正門の前に立っていた。これはみっちゃんを理解したいおれなりの理論だ、この世界で、おれが見ているようにしか理解できない世界で平均寿命まで生き延びたいおれの理論、見えない悪につぶされているみっちゃんに伝えてみたい知恵。

 しかし、おれ、情熱が原因でみっちゃんに絶交されているから、あれこれを言葉で伝えられないのだった。

 みっちゃんが学校に戻ってきても、きっとくだらなくてつまらないだろう、無関心も権力も見えない形でそこにあるだろう。悪から逃げることはできないだろう。

 ウケたりシラけたりする世界がそこにあるだろう、だからもっと違う世界に行かなくては、それくらいおれだって前から思っている、思っているんだよみっちゃん、みっちゃんが思っているよりおれだってきっといろいろ考えている、いつまでもウケたりシラけたりしていても仕方ない、トンマな踊りと短い動画ばっかり観ていても仕方がないのだ、だからと言って「知識」が簡単にすぐ頭の中に入るわけではないが、

 情熱は、ウケたりシラけたりすることといつでも無関係だった。これからもそうだろう。

 おれができることやしたいことは限られていた、気がつけばおれには情熱しかなかった、それでまた嫌われても仕方ないさ、この「仕方ない」は権力の作用ではなくて、目に見えている人間と人間のことだ、おれは久しぶりにみっちゃんの様子を見に行くのだ、全国高校野球選手権大会地区予選の始まる日、おれとみっちゃんが住む町の駅に、ミユやヨシキをはじめとした若干名の吹奏楽部が降りた。戦う人たちを励ますだけではなくて、戦いをやめさせようという人にも励ましは必要だ、というか、一方的な戦いをやめさせることも一つの戦いだったわ、おれだって、それくらい分かるさ、いや、「おれたち」だってそれくらい分かると思う。おれたち金管合奏団はめいめいの楽器を担ぎながらみっちゃんの家にとぼとぼ向かい、先頭のおれがインターホンを押した、みっちゃんのばあちゃんが、扉を開けてくれた、扉が静かに閉まる、階段を登るきしみと足音が聞こえる、まもなくして、それは爆撃ではない大きな音が鳴る。